Groove Tube


何か最近疲れが取れぬのう、と思っていたらどうやら私は寝ている間も盛んに活動しているようなのであった。

今朝は布団が全くない状態で、つまり何も上にかかっていない状態で5時に目が覚め、かけ直して寝たら3個ある目覚まし時計を全部止めてギリギリの時間まで二度寝していた。これは良くない。非常に良くない。

「何もかかっていない」というのは珍しい事態ではあるが、布団が変になっていることは日常茶飯事である。掛け布団が90度移動していたのを直して寝ようとしたら、タオルケットが180度移動していた、という異常な事態もある。一体私は寝ている間、どんな激しい活動をしているのだろうか。大体、タオルケットが180度、って上下逆さま、ってことである。起きている間に180度ひっくり返そうとしても、それは大層な労力を伴う行動である。それを寝ている間にやってしまうとは、もしかしたら私の本分は起きているときではなく、寝ているときにあるのではないか、という気さえしてくるのである。

そうかだから日中もなんか眠い、と言うかふと気づくと寝ている、とかそういう事態が起きているのか。自分の本分に戻ろうとしているのか。

と合理的な言い訳を考えつつもThe Flipper's Guitarの「ヘッド博士の世界塔」を聴く。91年のラストアルバムである。最初にお断りしておくが、私はフリッパーズにもCorneliusにも小沢健二にも思いいれは、ない。嫌いではない。寧ろ好きである。ただ、全作品を追う、とかそういう風には気が向かないのである。それはそれとしてこのアルバムは当時はそれまでとガラリと変わった打ち込み、サンプリング、内省的な、ある意味破れかぶれな歌詞が大いに物議を醸していたような気がする。とくに当時読んでいた『ロッキンなんとか』とか言う雑誌では読者からの投稿記事でもなんだかんだああだこうだ論じられていて、若い私なぞは、うぜえな、とか思った記憶がある。その気持ちはいまだに変わらないのであるけれども。確かに歌詞に関して深読みしてああだこうだ解釈したい気持ちは分かるのだが、今こうやって考えてみると勿論当人たちはそれを望んでいたのではないか、とか思えるフシがある。インタヴューとか当時読んでなかったから何とも言えないが。もしかしたらその旨の発言が当時あったかも知れないが。話ついでだが、当時フリッパーズに関して「世代の代弁者」的なムードがあったように感じているし、しかも「ちょっとひねくれててオシャレで」とかそういう位置づけもあったように思う。(多分、それは今色々なところでこのアルバムのレヴューとかを読んでも感じとれるのではないかと思うが。)そこら辺でちょっと距離を置いていたから、多分私はさほど思いいれがないのだろうと思う、今にして思う。でも、このアルバムはよく聴くアルバムなのである。それは多分、時代の空気を音楽的にうまい具合に切り取っているからなんだろうと思う。とくにこのビートは所謂一つのマンチェ以降、というかインディ・ダンス、というかそういう逞しいビートで、そこにポップなメロディなわけであるから嫌いなわけない。勿論引用ネタがどうこう、ということを延々論じたりすることも出来るかとは思うが、今となってはその引用の仕方の絶妙さに感動させられたりもする。こんな風にMy Bloody Valentineの「Soon」のウェザオールリミックスを持ってくるのかあ、とかこんな風にShackの「I Know You Well」を引用っつーかカヴァー的に使うかあ、とかSly And The Family Stoneの「Dance To The Music」を使うのはPrimal Screamの「Rocks」よりも早かったなあ、Beastie Boysよりは後だけど、とか色々今聴いてもそういう面でも発見があって刺激になるのであった。でもここら辺の話題だけに終始するのは木を見て森を見ず、なわけであるから止めておく。しかし聴けば聴くほど、この後解散しなかったらどうなってたんだろうな、と思わせられるアルバムなのであった。