宇宙興業

フライヤー持ってくるとタダです!!フライヤー発見できなかったら一言言っていただけると何とかなるかも!!

"AOBA NU NOISE" 2008.08.31(sun)@CLUB SHAFT OPEN: 20:00~26:00 ADV:1500yen(2D) / DOOR:2000yen (2D)

LIVE Act : -W-(Waikiki Champions), runny stools, KODA
DJ's : BOW(DA-DA-DA?), DROP, EVOL(Love records), RAMBO

よろしくお願いします。

急激に寒くなってしまうと、夏強制終了、というイメージが大層強まり、それ故にわびしさもぐっと増すものである。

前にも何回も書いてきたように、夏を逃してしまう、ということに囚われながら暮らしていたこの夏なのであるがここに来ていよいよ本気で逃してしまったのう、という気持ちでいっぱいである。かき氷食べてないじゃん、とかそういう素朴な事象が積み重なって積み重なって、「夏 完」ということになるわけである。

ということで来るべき秋は「○○の秋」である。なぜこうも世の中、季節毎にせねばならぬこと、みたいなものの定義がきっついのだろうか。なんとなーく、冬になってしまうと「嗚呼運動しなかった」「嗚呼芸術しなかった」「嗚呼読書しなかった」「嗚呼食欲なかった」とかそういう展開になりつつ秋を振り返りそうで恐ろしい。

とここまで書いたが私、オールシーズン食べてオールシーズン読んでるではないか。残るは芸術と運動か。難関だ・・・。The Art Of Noiseを集中的に聴いて芸術方面クリアして、運動か・・・。XTCのアンディ・パートリッジは昔「運動なんてセックスくらいしかしてない」とか言っていた。おお、良い話だ・・・。しかしその運動ってどうなんだ・・・。

Crazy Ken Bandの「Zero」をやはりまたしても聴く。これは本当に面白いアルバムだなあ、と思いながら何回も何回も聴いてしまう。昨日のNag3にも書いたのだけれども、すごくシェイプアップされたアルバムである。そして今日気づいたのだが、意外にミニマルな展開が多いのだが、それが逆に催眠的な効果を促す曲が多い。とくに歌謡曲〜下手すりゃ演歌のりの曲がどれもホーンとかベースラインとか、非常にミニマルである。それが剣さんの天才的な歌メロ(信じられないくらいすごいメロディラインが出てくる)と相まって、ある意味サイケデリックである。また韻の踏み方も曲によっては目から鱗なすごい展開になっていることに今日は感動させられた。もうポイントポイント列挙しているだけでまったく伝わらないと思うので騙されたと思って一度聴いてみると良いのではないでしょうか、と無理やりな感じで珍しくレコメンド、なのである。音楽的なジャンルとしてではなく私は猛烈にヒップホップを感じるのだが、それってどうなのだろうか、間違いなのだろうか。

湾岸線

そろそろ告知の季節ですね。今回はフライヤーもって来るとなんとタダ!みたいですよ!

"AOBA NU NOISE" 2008.08.31(sun)@CLUB SHAFT OPEN: 20:00~26:00 ADV:1500yen(2D) / DOOR:2000yen (2D)

LIVE Act : -W-(Waikiki Champions), runny stools, KODA
DJ's : BOW(DA-DA-DA?), DROP, EVOL(Love records), RAMBO

ということでよろしくお願いします。そういえばフライヤーこないだHMVにあったなあ。そういうことだったのか。もし、フライヤー発見できないのですが、という人がいらっしゃったら連絡くださいませ!なんとかなる、かも、です。その他色々分かり次第お伝えします。私もこの日は飲酒せよ、との指令をまず受けております。皆様遊びにいらしてくださいませ!!しかし、ANNは出演者の方も増えてきて充実してきているなあ。で、ふと思えば出演者もお客様も皆、私よりも年下の人だらけで面白いなあ、とか思うのと同時に俺いつまでこういうことやるんだろ、とかふと思ったり。しかし一番大人げなくやってるのが私、というより我々EVOLの2人だったりするのでまいっか、と。

Crazy Ken Bandの「Zero」を聴く。実はCKBのアルバム聴くのは初めてなのである。でも何か今作はPV見て曲は格好良いし、何よりも盟友tt氏の猛烈なプッシュもあり聴いている。そしてそれがまた間違いなさ過ぎるので驚いている。これまでの流れを全く理解していないのでアレなのだけれども、凄くタイトなアルバムである。演奏もきゅっとまとまっているし、20曲以上入った大変なヴォリュームなのに全く飽きたりダレたりという展開がない。結構ヴァラエティ豊かではあるのだが、どれも一本筋が通っているような感じなのだな、うん。インド風レゲー風歌謡曲風ボッサ風南国風泣きそうになるくらいメロウな展開とか、本当に色々あるのだけれども、支離滅裂さはない。全くない。加えてやはり剣さんの男気溢れるヴォーカルと凄い歌詞が全編貫きまくっているからなんだろうなあ、と本当に、本当に今更ながら感動するのである。大体「亀!」とか「猫!」とかいうシャウトがこんなに決まるだなんて、と衝撃。また、ベースラインと歌のメロディの絶妙なぶつかり具合が具合悪くもクセになるような曲もあったり、細部までかなり作りこまれたアルバムだなあ、と思うと同時にそれをサラッと聴かせてしまうのだからすげえな、と本当に私は感動しているのであった。

Imagination

ということで昨日のNag3では歯の痛みに苦しむ私が世の中に向けてありったけの憎悪をぶちまけてしまったわけであるが、結局あの後も歯の痛みは悪化するばかりでほとんど眠ることができなかった。

ということでこりゃかなわん、となり今日急遽歯医者に予約してこの苦しみを訴えてみたらば、あっさり「神経取りますので」となったのだった。

実に麻酔を打たれるのも久々である。確か最後に麻酔を打たれたのはThe Smithsの「The Queen Is Dead」The Queen Is Deadが出た頃だったと思うから約22年も前の話か。だからほとんど記憶なぞないのであるが、ぶすぶすと麻酔を打たれてみるとああこんな感じだったっけ、となるのが面白い。

しかし麻酔が効いていると痛みは全くないのは良いのだが、耳慣れぬ、いつもの治療では耳にせぬノイズが襲ってくるからかなわない。加えて何だかドリルのような、掘削機のようなものでごごごごごとやられるのだが、これの振動が物凄く、そのイルマティックなヴァイブレーションが後頭部を刺激しまくるので何だか歯と関係ないようなところまで違和感があるような状態になった。

ということでこれ途中で麻酔が切れたらどうしよううわあああ早く終われ早く終われ、とか思っていたらあっさりと終了したのであった。お陰で今では全然歯も痛くないので昨日のような悪態をつくこともない。というか、昨日のあの悪態はよっぽどの苦しみの表れだったんだろうなあ、と自分で分析してしまうくらいである。

しかし歯を削っているというか掘っているような時の、あの振動は物凄くイルマティックなヴァイブがビンビンだったぜ、とさして意味もなくMC口調になりながらBill Frisellの「History, Mystery」を聴く。何でもマルチメディア作品に音楽をつけたものを膨らませた、スタジオ録音とライヴ録音を混在させた2枚組みである。私は彼の作品全てを聴いているわけではないのだが、まあNonesuchからリリースされている彼の作品に悪いものはないのでこれもそうであろう、ということで聴いているのであった。はい、その通りでございました。基本は非常にゆったりとした演奏の中で彼の特徴的な、儚いようでいてそれでいて永続性のあるようなトーンのギターが堪能できる作品である。8人編成のバンドなので色々な楽器の音色が聴こえては去り、またやってきたりしているが基本的には相変わらずの、彼の隙間の、というか空間の多い作風に変わりはないのである。Thelonius MonkやLee Konitzなど数曲カヴァーも含まれているが、9分近いSam Cookeの「A Change Is Gonna Come」は泣ける。そう、全体的に叙情的な感じではあるのだが、このゆったりとした空気の中でも各楽器の間での殺気に近いような緊張感はピーンと張り詰めたように存在しており、それがライヴならではの醍醐味なのかも知れないのだが、単にぼへーっと聴き流そうとするこちらをそうはさせまい、と制止しているような、そういう作品なのであった。ヴァイオリンやヴィオラ、チェロの音色がこの中では非常に良いアクセントになっていてBillさんのギターとナイスなマッチング具合を見せているので、それも聴きものである。ちなみにJohn LurieのこのサントラAfrican Swim and Manny & Loを想起させるような軽いエキゾティックな感じもあり、でいちいち引っかかるところが沢山用意されている作品でもある。

The Siren Song

ということで歯医者に行き始めてから1ヵ月以上経つのであるが、まだ完治はしていないわけである。

大体仕事の合間を縫って行っているわけで、そうそうフリーになる時間があったりするわけではない。挙句の果てには私と同じタイミングで歯医者もお盆休みに突入、というあこともあったりして、勿論休みは大事だから全く歯医者を責めるつもりは毛頭ないのだけれども、ちょっとすれ違いの日々が続き2週間近くブランクが空いてしまっている。

で、何もなければ良いのだが、まだまだ途中の状態のままで歯が放置(ことばは悪いが)されているわけである。ある程度の応急処置のようなものはされているのだが、permanentなものではなく、実にtemporaryなものである。痛んでくるのである、この歯が。

逆に全く歯医者に行ってなかった時の方がなんぼか楽だったなあ、とか思っても後の祭りであるし、何より本末転倒だから言わないようにする。本当は凄く言いたいのだけれども言わないようにする。長いこの暗いトンネルの先には必ず光があるはずだ。今は出口前の一番暗いところにいるのだ。だから痛いのだ。明けない夜はないし、夜明け前が一番暗いのだ。Marc Almondだってアルバムのブックレットでその言葉を引用していたではないか・・・。

と気を紛らわせようとして、まるでよくあるJ-Popのような応援歌のような言葉を吐き出してしまったのだが、そうでもしないと痛くてすぐ気が滅入ってくるので苦し紛れにそんなことをしているのだ。そうだ、あのいまだに根強くある全くもってリアリティを伴わない、白々しい金のために応援歌群を歌っている連中は、皆歯が痛いんだ。歯医者に行く暇がなくても良いから金を稼ぐために働かなければならないのだ。だから自分たちの気を紛らわせるためにあんな歌詞の歌を歌っているのだ。歯が治れば皆即、黒色エレジーとかThe Willardみたいな歌詞になるに違いない。そうだ、そうに違いない・・・。

しかし痛いのでThomas Feiner & Anywhenの「The Opiates Revised」を聴く。これはスウェーデン出身のThomas Feinerなる歌手が、以前組んでいたAnywhenなるバンドで出したアルバムの収録曲を入れ替えてDavid Sylvian主宰のSamadhi Soundからリリースしたアルバムである。彼の声はSteve JansenのアルバムSlopeでもフィーチャーされていて、そこに収められているDavid Sylvian等、強力な「声」の持ち主に全くひけを取らない渋いヴォーカルでちょっと注目していたのだが、この作品でも彼の渋い、そして美しい低音ヴォイスが嫌っちゅうくらい堪能できるのだった。David Sylvianばりの、とか書いてしまうとちょっと短絡的すぎるかも知れないのだけれども確かに彼やScott Walker、そしてMark Laneganにも通じる、伸びやかな低音のバリトンヴォイスなのである。加えて実にシンプルな、それでいてノスタルジックな生楽器による演奏なのだが驚くほど広がりがあって、実に映像にマッチするだろうなあ、とか思っていたら実際にDavid Sylvianが彼のことを知ったのも映画に使われた曲を聴いてだった、ということを知ってなるほどなあ、世の中色々な人がいるものだけれども同じようなことを思った人もいるのだなあ、としみじみしてしまった。また、声だけにおんぶに抱っこ、の音楽になっていないのはここに収められた流麗な美しいメロディの楽曲からも明らかである。決して、というか全然派手さはないのだけれども、それでもこちらの心をぐらんぐらんに揺さぶってくる素晴らしいアルバム。純然たる新作も聴いてみたいところである。ちなみにジャケ写のモデルはJean Cocteauでしかもアヘンを吸っている写真、という。間違いなさすぎる・・・。

Stranded Pearl

最近KKKに関しての本を読んでいるのだった。

私にとっては何故かKKKというのは一種のオブセッションのようにイメージが脳内にあって、それは頭巾姿で火の回りを回っている、という非常にシンボリックなものなのだけれども、そういったイメージと黒人を残虐な方法で殲滅せんとしていた、という活動の内容がどのように結びつくのだろうか、というのが常々(そう、本当にことあるごとに)頭の中を巡っていたりしたのだった。

ということで古本で昭和44年に出たドキュメンタリー本を読んでいるのだが、なるほどなあ、南北戦争ね、とか色々わかってきたのである。wikipediaなぞでも結構詳しく順を追って説明されていてある程度わかりやすかったのだが、こうして具体的な話を出されて述べられると、なるほどなるほど、という思いと共に「差別」って奴の根深さを感じさせられるのであった。

という風にまるで優等生の感想文のようなまとめになってしまってはアレなのだがまあ、しょうがない。ただ、KKKは黒人のみならずユダヤ人やカソリック教徒、なども迫害の対象にしていて、要は異文化排斥の極端に激化した版なのか、という感想もあるのだが、ナショナルフロントなどが極右と解釈できるのに対して、何だかKKKの方はもっと個人個人の妄想が強まってしまって悪化してしまって集団的な暴力になっているような感じである。まあ、要は思想とか宗教とか、もしかしたら全て幻想(ヴィジョン、というか)から始まっているのかも知れないのだけれども、それが醜く変化していくと「差別」と合体してしまって結果暴力的な排斥、という実際の動きになってしまうのかも知れない。

「差別」とか言うとちょっとすぐにはピンと来ないかも知れないけれども、寧ろその前段階にある「こいつらうぜえ」的な感情というものがもしかしたらまだ形を成していないものな故に実は最も危険なものなのかも知れない。例えば夜近所のコンビニに車高の低いアコードワゴンで明らかに酔っ払った風情で乗り付けて、酒の陳列ケースのドアをバタンバタン閉めて店員の女の子に絡んだりする、汚い茶髪の男3人組とかをうぜえ、とか思ったりするのだが(誰しもそうであろうが)、実はそういった感情をオーヴァードライヴさせていくと結果的に「インチキサーファー風の柄の悪い奴等を殲滅せん」とかいう団体が生まれる具合になってしまったりするのかも知れない。危険である。

人間誰しもがそういう感情は抱くものであろうが、それが膨れ上がっていくとそういう、それこそKKKみたいな(あちらにはもっともっとアメリカという国の複雑なご事情が絡んでくるわけだから一概に言えないのは百も承知なのだけれども)ものがボコボコ生まれてくるのであろう。もしかしたら既にここ最近の何だか荒んだ我が国の様子を見ていると、もうあるかも知れないな、とかいう気がして空恐ろしい。なんか最近歯止めが利かなくなっている世の中になってきているようだし。まあ何だか「過剰なのが良い。わかりやすいのが良い。」みたいな流れだからなあ。もしかしたら皆、その風潮を実は喜んでいるのかも知れないし、そうなったら皆KKKの代替品みたいな存在のものを実は気づかずに受け入れているのかも知れない。それでいて皆、教科書で習ったように差別はいけない、とか口先だけの言葉で述べ立てるのだ・・・。

でもね、実際上記のコンビニで出くわしたような奴等は本当にどうしようもないかも知れないから、ここは1つ大人の意見として団体を作って殲滅したりするのではなく、皆で連中が不幸な死に目に遭うように祈ろうではないか・・・。

何だか異常に好戦的に昂ぶった感じになってしまっているが、それは多分またしてもビールのせいだと思うよ。Giant Sandの「Provisions」を聴く。この名義での復活作である。以前はHowe GelbとCalexico、みたいなメンバー構成であったが最早今作では新生GSと言っても良いような感じで、デンマークのミュージシャンとHowe Gelbが基本のユニットになっている。レコーディングも各所で行われたようであるが、主にデンマークで行われたようであるし、結構今までの作品とは出来方が異なっているようである。しかしそれでも出てくる音は、いつもどおり、と言うと語弊があるかも知れないが、今までと同じように安心して聴けるカントリーのりの、と言うかオルタナカントリーとかいう阿呆な呼び方はやめた方が良いと思うのだが、そういう音になっているのだからうむ、信頼できる人間だなあ、Howe Gelbって、とかなるのである。加えて今作では女性ヴォーカルが華を添えていてIsobel CampbellとかNeko Caseとかが参加、更にはM.Wardもいたりして、何気にそっち方面では実に豪華メンバーによる作品なのである。P.J. Harvey(以前のカヴァー集Cover Magazineに参加していたりしたなあ)の曲以外は全てオリジナルであるが、かつてない程練られたメロディに、決して派手ではないけれどもグッと心に突き刺さる渋い演奏、加えてHowe Gelbの(実は私は名シンガーの1人だと思うのだけれども)歌声が相俟って、聴き応えのある作品に仕上がっている。もうすぐCalexicoの新作も出るいたいだし、またここらへんが面白くなってきそうである。

Words To Live By

こうやって、時折自分の部屋をちょっと見渡すと、一体自分は何をしてきたのだろうか、という気になる。

この壁を占領しているレコードやトリプルタワーを形成しているCD群、そして行き場所もなく重なっている本を見ていると、果たして私は一体何をやっているのだろうか、とふと思ってしまうのであった。とくに金の面では明らかに世の大人がきちんとすべきことをせずに何かしているのではないか、という気になって仕方がない。

と上記のように思ってしまうときというのはたまにあるのだが、でもちょっとするとすぐに新しい考えがむくむくと沸き起こってきて私を包み込む。仕事して金貯めてそれを使いもせずに仕事してそしてあっさりくたばって、というのが人生なのか、と。自分に全く投資もせずに仕事で自分をすり減らしてすり減らして、金は貯まるが「自分」への投資がなされないままでくたばっていく、それが人生なのか、と。

答えは明らかにノン、である!そう、私は不確実なものへの投資ではなく、今ここに存在している自らに投資したのだ、その結果がこの部屋なのだ、と目覚めるのだった。人生は何年なのか全くわからないが、やせ細って(物理的にではなく)人生を過ごすよりは肥えて(物理的にではなく)人生を、瞬きの一瞬でしかない人生を過ごすための、私にとっての必要物がここにはあるのだ、と必ず覚醒するのである!

とか言ってはいるが世の趨勢的にはたんなる負け惜しみ的な、若しくはムチャクチャな自己肯定に過ぎない、とか言われるかも知れないが、ビールを1リットルくらい飲んだ状態ではそのような他人の声なぞ全く何でもない。寧ろ貴様等羨ましいであろう、と言い返してやりたくなったりもするものである!

ということで、まあ自分への投資、であるということで一つ。というかまあ、要は久々に高いレコード買ってしまったからその動揺を収めたいだけなんですけれども。でも良いのだ、Karlheinz Stockhausenの世界各国の国歌をモチーフにした電子コラージュ音楽がこれから先ずっと私の肥やしになる、ということを考えれば全く問題はないのだ・・・。

という風に何とか自分を落ち着けたところでSunburned Hand Of The Manの「Fire Escape」を聴く。実は彼等の作品を聴くのは初めてなのである。そもそもメンバーが流動的であったり、ライヴによって楽器編成が異なったり、無数のCDRリリースがあったり、となかなか実体が掴めないような感じのグループなのであるが、この作品では雑誌『WIRE』で読んで興味を持ったFour TetというかFridgeというか、のKieran Hebdenが制作を手がけており、もしかしたら最初に聴くのには良かったかも、と思える作品であったりする。どうも上記のような情報とかだと所謂「フリー・フォーク」とか呼ばれたりするジャンルっぽいイメージが強く、しかも即興の色合いが濃かったりするとどうも緩すぎるように感じられたりして、ちょっとそういうのは苦手だったりするのだが、このアルバムではばしっとエディットが効いていて恐らくはインプロヴィゼーションがベースになってはいるのだろうけれどもしっかりとメリハリがついていて、曲によってはダンサブルとでも言えるようなグルーヴが渦巻く、実に不思議な音楽になっている。しかしそれでいて自然な感じになっているのが実に出色で、こういうの飽きちゃうかもなーとか生意気に考えつつ恐る恐る聴いた私でも、すっかり面白がって聴いているのであった。他の作品も機会があったら聴いてみたいものであるが、まずはこの不思議なダンスミュージックのアルバムをどっぷりと聴き続けたいところである。ちなみにアートワークはEYE氏であったりする。掴めねえなあ・・・。

Lazy Days

馬鹿みたいにクソ暑い日の次に、突如どんよりした空で気温が低い日、なんてのがやってくると、嗚呼夏も終わりだなあ、という気分になる。

と同時に私の短い休みの期間も終わりに近づいているわけで、何もしなかったんじゃないか自分、という焦燥感に駆られるわけである。以前もこのNag3で触れたが、夏には何かある、と思わせられているので別に毎年何もなく過ぎていくものなんだけれども、嗚呼今年の夏は何もなかった、というネガティヴなまとめしかできなくなってしまうのである。

私はこの盆休みにはとある目標を立てていて、1つは早起きすること、もう1つはイノトモのファーストアルバムをブックオフで安価で入手すること、という壮大なものである。前者はまあまあ守れ有意義に午前中を使うことが大体できていたから良い。ただ今日は前の晩の酒の飲み方がよくなかったせいか午前中ずっと寝倒してしまった。やはりカラオケボックスでウィスキーのソーダ割りなぞ何杯も飲むものではない。まあ、それは置いておいて問題は後者である。1回発見したのだが1950円、というブックオフに於いては最早神の領域のような金額だったので無理であった。ということで盆休みは何となく目標が半端な感じで過ぎていってしまったのだった。

だから嗚呼今年の夏休みも何もできずに終わってしまったなあ、という感想になってしまうわけで目標の立て方がよくなかったのかも知れないのだけれど、ちょっと不本意な感じではある。夏CDも編集せずに終わってしまいそうな勢いであるし。

ということで早くも目線は秋の方に向いている。秋にはイノトモを安価で入手し、早起きし、秋CDを編集、とかしたい。というかこの程度で目標と言えるのだろうか。そして夏に立てた同様の、このくらいのレヴェルの目標さえばっちりとは達成できない自分って・・・。

とか悲しくなりながらもThe Flying Burrito Brothersの「Sin City」を聴く。これはGram Parsons在籍時の2枚のアルバムをカップリングしたコンピである。何だかここ最近カントリーづきまくっている私なのだけれども、やはりこれも染みるのう、ということである。The Byrdsから脱退してGram ParsonsとChris Hillmanが結成したのこのFBBであるが、カントリーをロックンロールのエッジを持ったサウンドで演奏する、というまさにカントリーロックな音楽である。どの曲も結構強靭な音であるが、メロディもハーモニーもカントリーならではの、というよくよく考えてみれば実に斬新だったのだろうなあ、当時は、と今更ながら感じ入る。Gramのヴォーカルは甘く伸びやかで、思わずうっとりしてしまうのだが、アップテンポのナンバーでの痛快に走る感じは勿論格好良いし、バラードにおける切々と迫る演奏とヴォーカルには思わずホロリ、とさせられてしまう。The Rolling Stonesの「Wild Horses」のカヴァーとかオリジナルよりも良いんじゃないか、とか言いたくなる名演ぶりである。カントリーとかって寧ろ保守的なジャンルになってしまうのだろうけれども、新しい手法が出尽くしてしまった感のある昨今では、逆に新鮮だったりする。しかしGram Parsonsは金も時間も、そしてドラッグもあり過ぎたお陰で早死にした、と言われているわけだが本当にもっと末永く活動してもらいたかったものである。才能の、命の使い方というのは人それぞれだと思うのだけれども、彼ほど勿体無いことをした人はいないのではないか、と思わず悲しくなったりしてしまうのは、ここに収められた楽曲が多かれ少なかれ悲しみを含んでいるからなのだろうか。