Words To Live By

こうやって、時折自分の部屋をちょっと見渡すと、一体自分は何をしてきたのだろうか、という気になる。

この壁を占領しているレコードやトリプルタワーを形成しているCD群、そして行き場所もなく重なっている本を見ていると、果たして私は一体何をやっているのだろうか、とふと思ってしまうのであった。とくに金の面では明らかに世の大人がきちんとすべきことをせずに何かしているのではないか、という気になって仕方がない。

と上記のように思ってしまうときというのはたまにあるのだが、でもちょっとするとすぐに新しい考えがむくむくと沸き起こってきて私を包み込む。仕事して金貯めてそれを使いもせずに仕事してそしてあっさりくたばって、というのが人生なのか、と。自分に全く投資もせずに仕事で自分をすり減らしてすり減らして、金は貯まるが「自分」への投資がなされないままでくたばっていく、それが人生なのか、と。

答えは明らかにノン、である!そう、私は不確実なものへの投資ではなく、今ここに存在している自らに投資したのだ、その結果がこの部屋なのだ、と目覚めるのだった。人生は何年なのか全くわからないが、やせ細って(物理的にではなく)人生を過ごすよりは肥えて(物理的にではなく)人生を、瞬きの一瞬でしかない人生を過ごすための、私にとっての必要物がここにはあるのだ、と必ず覚醒するのである!

とか言ってはいるが世の趨勢的にはたんなる負け惜しみ的な、若しくはムチャクチャな自己肯定に過ぎない、とか言われるかも知れないが、ビールを1リットルくらい飲んだ状態ではそのような他人の声なぞ全く何でもない。寧ろ貴様等羨ましいであろう、と言い返してやりたくなったりもするものである!

ということで、まあ自分への投資、であるということで一つ。というかまあ、要は久々に高いレコード買ってしまったからその動揺を収めたいだけなんですけれども。でも良いのだ、Karlheinz Stockhausenの世界各国の国歌をモチーフにした電子コラージュ音楽がこれから先ずっと私の肥やしになる、ということを考えれば全く問題はないのだ・・・。

という風に何とか自分を落ち着けたところでSunburned Hand Of The Manの「Fire Escape」を聴く。実は彼等の作品を聴くのは初めてなのである。そもそもメンバーが流動的であったり、ライヴによって楽器編成が異なったり、無数のCDRリリースがあったり、となかなか実体が掴めないような感じのグループなのであるが、この作品では雑誌『WIRE』で読んで興味を持ったFour TetというかFridgeというか、のKieran Hebdenが制作を手がけており、もしかしたら最初に聴くのには良かったかも、と思える作品であったりする。どうも上記のような情報とかだと所謂「フリー・フォーク」とか呼ばれたりするジャンルっぽいイメージが強く、しかも即興の色合いが濃かったりするとどうも緩すぎるように感じられたりして、ちょっとそういうのは苦手だったりするのだが、このアルバムではばしっとエディットが効いていて恐らくはインプロヴィゼーションがベースになってはいるのだろうけれどもしっかりとメリハリがついていて、曲によってはダンサブルとでも言えるようなグルーヴが渦巻く、実に不思議な音楽になっている。しかしそれでいて自然な感じになっているのが実に出色で、こういうの飽きちゃうかもなーとか生意気に考えつつ恐る恐る聴いた私でも、すっかり面白がって聴いているのであった。他の作品も機会があったら聴いてみたいものであるが、まずはこの不思議なダンスミュージックのアルバムをどっぷりと聴き続けたいところである。ちなみにアートワークはEYE氏であったりする。掴めねえなあ・・・。