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ということで今日、生まれて初めて携帯電話で我がNag3を読んでみた。

私自身が携帯電話をスクロールして何かを読む、という行為に慣れていない、というのも勿論大きな要因としてあるのだろうが、いやいや、こんなに読みづらいのか、このNag3は!

ということで大きな衝撃を受けると共に、これを携帯電話で読んでくださっている方々に対して、何だか申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。皆様、大変なご苦労をおかけいたしますが、多分このスタイルは変わらないので、申し訳ございませんが頑張って読んでみてください。

しかし、今回の経験から、一時期流行った、所謂「ケータイ小説」とやらも、なんだか皆大変な思いをして読んでいたのかあ、と思ったのだった。(まあ、そんなに皆が携帯の画面をスクロールしてものを読む、ということに苦労していないかも知れないから、実は私だけの話なのかも知れないのだけれども。)そうなると何だか、ケータイ小説って読み手の能動的な参加を要する、という点に於いては実に新鮮で新しい形の「文学」なのだなあ、と感動した。

でも私が読んだなんぼかの所謂「ケータイ小説」はどれもこれも何だかそりゃないだろーというストーリーと何だか至極凡庸な文体であんまりピンと来なかったのだけれども、それは多分、私が紙媒体で読んだからであろう。多分携帯電話の画面をスクロールして、前の画面での話をしっかりと覚えておくのはかなり難しいだろうから、極限まで単純化した話でないといけないわけである。だからこそ、どかん、というエピソードの羅列をあたかも、ごくごくよくある話ですよ、的オブラートに包んでこちらに提示しているのだなあ、ということに気づかされた。つまりは「ケータイ小説」を紙におこしては意味がないし、映画化なんかしても意味がない、携帯電話のあの画面で読まなければ意味がない、ということを悟らされたものである。

って別にどうでも良いことだし、誰か既にああだこうだ言っているような話なのかも知れないし、ましてやケータイ小説とかどうにも納得行かないけれども、私が今日新鮮な体験をしたからその記念にここに記したかったのである。で、Depeche Modeの「Singles 86-98」を聴く。タイトル通り、この時期のシングル曲を全て収めたCD2枚組のコンピである。要はアルバムで言えば「Black Celebration」から「Ultra」までである。この時期は全米での人気が本格化〜全米制覇〜バンド崩壊寸前〜復活、という異常なまでにドラマティックな時期であり、実に個人的な話をさせていただければ、私がリアルタイムで追いかけていた時期でもある(いまだに、だけれども)。そういえばこの時期の最初の方では、「あのテクノポップのバンドの音源に初めてギターの音が!」みたいな盛り上がりを見せたりしていたが、今のDMのことを思うと別に珍しいことではない。つまりDMが音楽性の広がりを見せていた時期なわけで、ここに収められたシングル群も打ち込みを基調としながらもかなりヴァラエティ豊かである。そして、音が段々とへヴィになっていく時期でもあるのだけれども、どの曲も何だかロマンティックな温もり、とでも言うべきものがビンビンに感じられて何故か聴くたびにホッとさせられたりもするのである。この時期以降のアルバムも憑き物が取れたみたいにすっきりとした、それでいて濃いアルバムばかりなのだが、何かが憑依したみたいになってどんどん突っ走って行った時期を集めたこのコンピも、やはり間違いなく充実していたことを示す記録なのである。