Silver Pool

先日ネット通販で購入した中古CDは、紙のスリップケースもなければブックレットもなく、全くもって完品と程遠い状態なので怒り狂って返品の手続きをした。で、そんな余韻が冷めやらぬうちに、これまた中古で購入したNew OrderのDVDを見ようとすればリージョンが違って見れない、というこれまた何だかもう、泣いて暮らすか引きこもりになるか、という事態であった。なんだ、全てのツキに見放されてしまったのではないか。

そんな時に思い出すのは、人生には男時と女時がある、という言葉である。観阿弥世阿弥?どちらの言葉だったのか忘れたのだが、明らかにある方面に於いては今、女時である。いや、今ある方面に於いて、と言ったが果たして男時だったことってあるのか。この世の春、みたいな時期って自分にはあったのか。一応男として生まれたからその時点では物理的に男時を過ごすことになっているはずなのだが、もしかしたら女時の方が自分は多いんじゃないか。

自己憐憫の情に苛まれつついる雨の日曜日である。しかし男時とか女時とかって、今考えると差別的であることこのうえない形容である。「女の腐ったような」とかいう言葉もさすがに最近では耳にすることもなくなったが、こういう言葉に表れている「男」と「女」を隔てているメンタリティってどのようなものだったんだろうな、と思う。別に気取っていたり、良い子ぶったりしているわけではないのだけれども全くそこら辺はわからない。例えばそういうメンタリティとはまた違うのかも知れないけれども、「家では絶対家事はしない。だって男だから。」とかそういう輩がいまだにいるのも全く分からない。男ってそういう我儘というか意味のわからないプライドというか、そういうことに従って生きていても許される生き物なのだろうか。何か昔の恐竜みたいにさ、そういう風に大きく生きまくっていたりしたら絶滅とかしてしまうのではないか、男。

まあ、それも良かろう。今日は何だか連想ゲームのようなNag3であるが、Neptuneの「Gong Lake」を聴く。お笑いでもなければ、プロデューサーチームでもない。Table Of ElementsのサブレーベルRadianからの作品である。しかしRadianはどれも面白い作品ばかりで感心するのだが、これもその中の1枚である。3人組なのであるが、何でも自作、なのである。そう、自作楽器によるバンドなのである。エレクトロニクスは勿論、コードまで自作、とか書いてあってたまげるが、中の写真を見るとシンバルとドラム以外、何が何だかわからないものが並んでいるし、ギターも何だか弦は張ってあるけれど物凄く奇怪な形をしている。で、それだけで面白い、というのはよくあるのかも知れないけれども、それを踏まえた上で聴いても、踏まえないで聴いても、このアグレッシヴな音楽は一体何なのだ!と衝撃を受ける。聴いて想起したのはThis HeatのファーストとかSwansの初期とか、そういう感じである。つまり重いのであるボトムが。そしてどかどかやっている感じの上になんか変な音とか、ヴォーカルが乗っかるわけである。何だかドラムスの音もギターのカッティングも物凄くダイナミックで、それこそ一時期のTouch & Goから出てても全くおかしくないような音楽なのである。これ、別に自作楽器、というインフォメーションがなくても全く普通に聴いて大興奮できる奇跡的な1枚だと思うのですが。