River Song

人間というのは醜いから美しいと思うのだ。否、もっと正確に言えば醜いと「気づいて」いるから美しいと思って「いた」のだ。

テレビとか見てて視聴者の意見とか、ネット見てて色々なブログとか見てると、何だか物凄く、「自分は美しい」と心の底から思って匿名(ある程度)なのを良いことに色々ぶち上げているようなのが多くて気が滅入る。否、確かに貴兄貴女は美しい、少なくとも言っていることは。しかしそれを言っている貴兄貴女はそれを言っている(というか書いている)時の自分の醜さに気づいているのだろうか。なんか心の底から自分美しいし、とか思っているような気がしてならない。

自分の醜さを感じる、ということは自分を疑う、ということである。これは何も自信なく生きるわけではなく、まず他者のことも考慮に入れるということと同義なのではないか、と思うのである。まあ最近何だか現実社会上でも、自分を全く疑っていないような人間が多いように感じたりするのだなあ。何かどんどん人間が本当に醜くなっていっている世の中な感じである。いくら言っていることが美しくても、本当にそれに溺れてしまっていてはいけないと思うのだなあ。

まあ、私は心の底から自分美しいし、と思っている典型なのだけれども!だからDennis Wilsonの「Pacific Ocean Blue」の2枚組再発を聴く。1977年の唯一の彼のソロアルバムとボートラ、未完に終わったセカンドソロ用の音源を収めた2枚組である。しかし実はここで1つお断りしておかなければいけないことがあって、The Beach Boysやその関係者のアルバムをマジメに聴くのはこれが初めてである。すみません。しかしメンバー中唯一のサーファーで、海に帰ってしまった彼のソロアルバムは昔から気になっていて(多分Primal Screamが「Dixie-Narco EP」Dixie Narco Epでカヴァーしてたからだろう、その曲はここにも未収録なのだけれども)、でも手軽には聴けなかったものなので今回のデラックスな再発はとても嬉しい。さて、正式なソロアルバムの方は結構豪快な印象が強い。骨太で、ばーんとこちらに音が向ってくるような、そういう印象である。また、ファンキーな味付けがなされている曲など、彼の多彩な音楽的志向が見える。と同時にアルバム全体を通して乾いた空気なのに、どこか寂しげな表情が見え隠れしたりもするのである。彼は実際そういう人間だったようだが、このアルバムも単なる豪快なアメリカンシンガーによるアルバムには終わっていないのはそういう点も絡んでいるのだろうか。そしてその寂しげな感じは未完のセカンドアルバム用のセッションを収めたディスク2や未発表曲から成るボートラ群に顕著で、あら、と思わされるほどのウェットなメロディが顔を出し、豪快さはあるものの、どこか侘しい印象の方が強い。何でもまだ音源化されていないような(ライヴのみ、とか)曲も多数あるらしいが、そういうウェットな路線だったのだろうか。そういう路線の方が何か個人的にはしっくり来る気がしないでもないのだが、それはもう、無理な話である。本人はファーストソロはあまり気に入っていなかったようであるが、それでも何だかヴァラエティ豊かで楽しめるが、と同時にもしかしたら本当に進みたかったのは2枚目とかボートラとかの方向性だったのかな、とか考えると何だか切なくもなったりする。ところで彼のヴォーカルはエッジが取れたElvis Costelloのように聴こえなくもないように思うのだがどうだろうか。と以上The Beach Boys初心者の素朴な意見でございました。