Alone Without You

昨日のNag3で問題にしていた、「所謂80年代音への渇望」もしくは「己の先祖がえり」、または「死期の近づき」傾向であるが、とどまることを知らぬままである。

昨日はあまりエッジィな音はピンと来なかったのだが、ここに来てThe Blow Monkeysアニマル・マジック(紙ジャケット仕様)(←紙ジャケ出るんですか)は余裕でクリア、Scritti Polittiの「Cupid And Psyche 85」Cupid & Psyche 85のビキバキなプログラミングサウンドにシンセの炸裂に打ちのめされ、Aztec Camera「Love」Loveのブラコンのり(しかもあくまで軽い)で和み、そしてそれに収められた「Somewhere In My Heart」で盛り上がったら連想ゲーム的にGeorge Harrison「Cloud Nine」Cloud Nineに突入、ともう87年よりも後の音楽への免疫が消滅しているかのような具合である。

大体20年以上前の作品群なのであるが、郷愁というか失われてしまった時代へのノスタルジアみたいな感じではなく、思いっ切り初めて聴いた時みたいな興奮とともに喜んで聴いている自分は一体何なのか。そしてこの精神的身体的状態は一体どういうものなのか。やはり死期が近いのか。

世の「80年代が新しい!」とか言われて何回も繰り返される、ファッション面、音楽面のブームは多分に懐古的、もしくは笑いを伴うもの、だったりするのだが私の今のこの状態は「今がその時代」的な感覚であり、私は多分これから中学生活を送ったり、新しい輸入盤店に行き始めたり、『クロスビート』に出会ったり、『ロッキンオン』への違和感を強めていったり、昭和の終焉を迎えたりするのかも知れない。何か人生2回目を経験している感じである。

そんな10代初頭になってしまった私はKingの「Bitter Sweet」なんて聴いているのだった。85年リリースのセカンドにしてラストアルバムである。当時、ヒットチャートにはPrinceがいて、Princessがいて、Queenがいて、Kingがいたのだ。最早何が何だかわからない状態であった。この間Cherry Redからボートラ付きで再発されていたが、私が持っているのは昔出たエディションの奴である(リンクは再発盤)。元々ネオスカムーヴメントから発生したバンドらしく(昨日wikipediaで知った)、なるほど言われてみればリズムの組み方とかにその影がちらほらと見えるものである。しかし全てを凌駕するのはPaul King氏のソウルフルというよりは粘っこい濃いヴォーカルであり、それがこのバンドの特徴でもある。美声であるが、今のこの世に於いてはなかなか聴くことのできない感じでもある。曲は兎に角流麗であるが、スカ上がりでファンク混じり、骨太なのである。メロディもサビに於けるキャッチーさも翳りがありながらもどこまでもポップである。何か久々に聴いたら頭に張り付いて離れないインパクトの楽曲ばかりでノックアウトされたのだった。というか23年前にもノックアウトされた記憶があるのだが、ここに来てまた、という感じである。