I Keep Faith

(こちらは正真正銘の6月4日更新分です)

「終電」という概念がイマイチ身近ではなかった地方在住者の私である。どうも巷での「終電」という概念には「一巻の終わり」もしくは「新たなロマンスの始まり」とかそういう意味が付与されているように思えるのだが、イマイチピンとは来なかったものである。

ところが今では飲み会に行くときには電車を利用し、それを逃すともう大枚はたいてタクシー、というところに住んでいるわけで、今更ながら終電、という言葉の意味を重く噛み締めるわけである。ただ、巷での「終電」というのはかなり遅くまで(恐らく東京での概念が広く流布しているが故だが)あるのに対して、私の場合は日付が変わる前ギリギリの時間が所謂「終電」の時間だったりするからこれはもうありえない。

しかも輪をかけてアレなことに私は酒を飲むと大概のことは「いやいや、もう関係ねえじゃん(しかも呂律回らず)」という状態になってしまうわけで、我が街の中心部で飲んで終電に間に合うことは、まあ、ないことはないのだけれども、それはある意味奇跡的なこと、という状態になってしまうから性質が悪い。何故に、何故故に、単に飲み会に行っただけなのに所持金が心許なくなってタクシーの中でクレジットカードをまさぐる羽目になるのか、とやるせない思いで一杯になるのが常なのである。

せめてもっと終電の時間が遅ければ、と空しく願ったりもするのであるが、今では民営である国鉄もそこまでやっている余裕はないわけで、要は利用者各々の自制心の如何に全てが委ねられているのであろう。嗚呼なんと辛い世の中か、って飲みすぎなければ良いだけなのだけれども。

でもある意味「終電がなくなった」という自体はある年代の層にはとても良いかも知れない。とくに血気盛んな若い男女には。ほら、何か口実ができるではないか、しょうがなかったんだよねーみたいな感じのエクスキューズが。とは言え私のように同居人がいる故にこういう土地に移り住んだ者にとっては全く意味がないのだけれども。こういうところから今の日本の不平等、格差社会の歪みが垣間見えるのだけれども(嘘)。

どうでも良いがBilly Braggの実に久々の「Mr. Love & Justice」を聴く。凄く久々な気がする。Wilcoとの共演盤からもかなり時間が経っているように思うし。アメリカではANTIからのリリースで、もうこのレーベルはレーベル買いオッケーな気がこうなってくるとするわけである。私は2枚組みのエディションを購入したのだがディスク1はバンドと共に、ディスク2は彼のソロで同じ曲をやっているわけである。絶対にこちらの2枚組みの方がおススメである。一粒で二度美味しいとはよく言ったもので、まさにこの作品はそういうブツなわけである。タイトルからして「かーやってくれるね」という感じなのだが、歌詞も変わらず、多分びっしばしに硬派な政治的姿勢は変わっていないのだろうけれども、昔からの特徴である個人的な問題に転換しての政治的姿勢の表明なわけであって、何だか胸のすく思いである。こんな『蟹工船』の世と何ら変わらぬこの島国に於いても彼の声はビンビンに届いてくるわけである。勿論彼の場合、そんな歌詞とか姿勢だけで全てをオッケーにしてしまうわけでなく、よりメロディアスに、より骨太になった演奏が染みるわけである。バンドのディスクの方では何気なくIan McLaganが普通にバンドメンバーでいたり、ゲストでRobert Wyattが声を聴かせたり、となんだかここに来て大変なことになっていたりする。勿論両ディスクとも同じ曲なわけだが、どちらのディスクでも普通に対応できる曲の良さに今更ながら感動したりしたのだった。何かこんなことをこんな時代に言うのも阿呆みたいなのだが、何だか勇気とか元気とかもらえたりするんだよねえ、彼の変わらぬ歌声には。

ちなみにリンクは勿論2枚組の奴です。