This Town Ain't Big Enough For Both Of Us

ところで最近のドアのノブは、ユニヴァーサルデザイン、というもののお陰なのか以前のような丸い、手で掴んで捻るタイプのものではなく、何か薄い棒状のもので上から力を軽く加えるだけでドアを開いたりすることができるタイプになっている、って嗚呼まどろっこしい説明だ。こんなもの写真とか絵とかがあれば一発で解決なんだよなあ・・・。もしイメージがわかない、という方がいらっしゃったら新しい建物の中に入り込んで是非ドアを確認してもらいたい。たとえ貴兄貴女がドラえもんであっても余裕で難なくドアを開くことができるはずである。

しかし話がずれるのだがドラえもんの「どこでもドア」というひみつ道具は、当のドラえもんがああいう状態なのに昔ながらのドアノブがついているので、未来というのは実は我々が夢想するほど(今やいないかそんな人間)便利にはなっていないのかも知れない。

はい、話を戻します。ということで開け閉めには大層楽なのだが、私のようなボンクラ野郎はよくぶつかるのである、この棒状ドアノブに。しかも決まって右腕の肘の関節よりちょっと下の正面部分を、って嗚呼これまたまどろっこしい説明だが、とにかくその部分をがつんとぶつけてしまうのである。で、これがその棒状ノブは薄いので激烈に痛いのである。月イチ程度でぶつける駄目な僕(「Guess I'm Dumb」)であるが、その度になんか骨を断たれているのではないか、目から火花出るのではないか、と危惧してしまうほどの痛みが走るのである。何をオーヴァーな、と一笑に付したい貴兄貴女は是非ご自分で私と同じ勢いでぶつけてみるが良い。実感できるはずである。

で、もうご想像の通り私は今日もぶつけてしまい、先ほど目から火花を出した状態で今これを書いている。ずきずき疼く右腕が辛いものであるが、こういう風にぶつける時って大抵何だかお疲れっぽいときが多いように思う。車の運転も疲れている時にはなんだかフラフラしたりして危険なものだが、自分の身体を操縦するのもなかなかに大変なことなのかも知れない。

でまたこれが青痣のようになって結構残るものなので毎回その痣を見るたびに気をつけようとは思うのだが、なかなかにその教訓を生かせぬままにSiouxsie And The Bansheesの「Through The Looking Glass」を聴く。87年リリースのカヴァー集である。私はこの20年くらいで何百回このアルバムを聴いたかわからぬくらいなのだが、またしても聴いている。これはSparks、KraftwerkBob DylanThe Doors、Television、Roxy MusicJohn CaleIggy Popなどの楽曲を彼等流に解釈したアルバムである。初めて聴いた当時はThe DoorsIggy Popの曲くらいしか知らなかったものであるが、その後約20年で原曲をほぼ全部聴いてしまうことになるとは当時の私には想像もつかなかった。まあいずれにせよ原曲を知っていようがいまいが、思いっきり楽しめる名作なのである。当時はギタリストが若干流動的で、私としては全然そんな風には思わないのだがバンドとしてのパワーが落ちていた、と一般的には言われる時期である。しかしそんなの関係なく、ヴァラエティ豊かなアレンジでストリングスやブラスやらも導入しつつ、切っ先鋭いギターも楽しめるし、他人の曲なのに結局はどっからどう聴いてもスジバンの曲にしかなりえないような、そういう凄味みたいなものも感じることのできる優れた1枚である。というかSiouxsieのヴォーカルはデビュー時から昨年のソロアルバムまでほぼ不変(そりゃ初期は若い感じはするが)なので、どの時代を切り取って聴いてみてもしっかりとスジバンなのである。というか名曲だらけのカヴァー集だからまず曲は問題ないし、バンドのポテンシャルもしっかりと(とくにBudgie先生の暴れ太鼓が凄い)しているし、文句のつけようがない。