California Girls

そういえば最近大型CD店に行くと、所謂日本編集のコンピレーション盤が目に付くなあ、と思っていたのだった。よく売れるものだろうし、また内容が良いとか悪いとかそういう問題ではないにしても、店頭でおおっ、となるような出会いがちょっと個人的には少なくなってきた昨今、寧ろこういうのは排して違うものを充実させて欲しいものだのう、と非常に我儘で自己中心的な考えを募らせていたところだったのだが。

何か今朝の新聞でそれらコンピCDの数種類を仕掛けた人の記事が載っていて、まあ、それはそうなんだけれども・・・、と非常にやるせない思いになったのだった。まあ発言内容は面白いし、頷けるものである。でも、何かこう、俺こうやって成功、みたいな所が猛烈に鼻についたのだった。

別にそれは内容には関係ない。「R35」というコンセプトとか、別に個人的には一体何を言っているのだか、とは思うもののそのように明確な線引きというかイメージを打ち出したところとかはターゲットがはっきりしていて、多分商売的には凄く良いことだろうし。まあ、それが次から次へと、日常会話レヴェルに於いてでさえ「Rなんとか」となってしまうところが今のこの国の貧しさなのかも知れないのだけれども、それとは関係なくそこに収められた曲が良いとか悪いとかそういうことではなく、それらの曲をまとめたパッケージ、としてとても優れているとは思う。

でも、その仕掛け人の記事を読んでいたり、このコンピの解説文とか紹介文とかを読んでいて、「モテる」という言葉の連発具合にちょっと具合悪くなったりしたのであった。なんかさあ、そういう風に言わなくても良いじゃん、とかそういうやるせない気持ちになったものだ。もしかしたら今の世の中、がっつり売るためにはそういう即物的なツールとして音楽というものが求められているのかもしれないのだけれども、何だかな、と一抹の寂しさがよぎる。

というかまあ私もモテたいものではある。それを冗談として会話レヴェルでだったら良いのだけれども、それをオフィシャルなものでがっつーんと打ち上げなくてもさあ、って思ったことか、単にその仕掛け人が、昔テープ編集してドライヴの時にかけて、「いい曲じゃん」みたいな感じになって女の子にモテまくった、とかいう記事を読んで完璧にヒガミなのだが、ぶっ殺す、と思ったこと、どちらかが上記一抹の寂しさの理由であろう。

多分両方なのだが、若干後者の方が濃厚な気がするところが何とも情けないものである。

まあ、良いのだ。The Magnetic Fieldsの「Distortion」を聴いてモテるのだ。この名義では実は久々のStephin Merritt先生のユニットである。ソロ名義の劇用作品集Stephin Merritt: ShowtunesとかThe Gothic Archies名義の作品The Tragic Treasury: Songs from a Series of Unfortunate Eventsもいずれも傑作だったし、また映画「エイプリルの七面鳥」のサントラPieces of Aprilも既発曲を交えながらも素晴らしい構成だったので、それら充実ぶりで満足していたところもあった。しかしやはりこの名義ではこう来るか、みたいな感じが毎回あってとても楽しい。基本は美メロエレポップなのであるが、今回はエレ抑え目(前作iも思えば若干抑え気味だったなそういや)にタイトル通りのギターのディストーションノイズが大フィーチャー、というその音の響きだけで昇天しそうなぐらい私のような数寄者にはたまらない世界になっているのだった。大フィーチャーと言っても前面に出ているのではなく、背景でずーっと、実は爆音なのかも知れないのだけれども他の楽器と絶妙なバランスで鳴っているからさほどうるさい、という感じはしない。で結局頭に残るのはMerritt先生やら女性ヴォーカルが歌う切ないメロディととんでもなくシニカルな相変わらずの歌詞だったりするわけだ。ということで今までのファンには勿論のこと、もしかしたらシューゲイザーとかいう言葉に弱い方々にも広くアッピールするのではないか、と下衆の勘繰りを入れたくなるような、そういう作品である。個人的にはですね、このギターのノイズとドラム(マシーンだろうな多分)の響きのバランスは初期The Jesus And Mary Chain(「Psychocandy」期)とかThe 6thsの数曲を彷彿とさせて、もうその音の具合だけでああああ、なわけである。モテないかも知れないけれども、生きていくためには必要な音楽だったりするのかなあ、恥ずかしいけど。ととっても大袈裟ながら思った次第である。