Too Strong

前々回の当Nag3に於いて、「寒い寒い」書いたわけだが、どうやらそう思っているのは私だけではないようである。

この時期になると、昨年を振り返るというCDを焼いたりするものである、誰でも(無理に共感を得ようとする感がアリアリ)。まあ、自分のためでもあるし、あと人にあげるためでもある。もらった人は本当にありがた迷惑なのではないかとか思うのだが、今年も欲しい、みたいなことを奇跡的に言われたので、編集にも気合が入るってもんである。まだまだ『ハイ・フィデリティ』ハイ・フィデリティ (新潮文庫)的世界からは抜け出せる気がしない2008年である。

で、その気合いは良いのだ。なんせ帰宅してすぐにガンガンにPCに取り込んで編集しはじめたぐらいの気合いなのだ。ところがだ。実際にCDRに焼く段になってエラー続出で2,3枚ダメにしてしまった。しかも焼けたと思ったら音が飛ぶ。結局4枚くらいCDRを廃棄してしまったのだった。

怒り心頭、とはまさにこのこと。ダメになったCDRは哀しさと空しさが入り混じった気持ちから、超サディスティックな方法で廃棄したりした。で、ふてくされてそのままにして、ほとぼりも冷めて大分時間が経ってからもう一度編集したら上手く焼けるようになったので、何だお前も心を入れ替えたのだね、とか思ったのだが、それは明らかに違うだろう、と。CDRも、PCも、部屋が暖かくなって暖まって、それ故に上手く作動するようになったのだろう。つまり最初のエラー連発の原因は部屋の気温が低いおかげで全てのものが冷たかったらからなのではないか、と考察する私である。つまり、私だけが寒い寒い言っているのではなく、我が家の万物が寒い寒い言っている時に無理をしたのがいけなかったのか、と言えるわけである。

しかしこれは換言すれば、私が帰宅してすぐに編集を始める、というその気合い自体が仇となったに違いないのであった。やっぱり今年もあんまり気合い入れて、とかいう姿勢で臨まない方が良いのだな何事も、とまた悪い意味での教えを受けてしまったりしたのであった。何せほら、今年は「受動的に生きる」と言い切っている私であるからして。

しかしThe Sea And Cakeの「Everybody」を聴く。現時点での最新作昨年リリースのアルバムである。これはWilcoとかのプロデューサーが絡んだりしていて、若干変わってストレートになった、とかいう評判だったアルバムである。しかし昨年聴いた時点ではその変わりようはあまり感じられず、どちらかと言うとやっぱ今までとあんま変わらんなー、的な印象だったのである。ところが、最近家でふと聴いてみたらば、何だか異常に包容力のある音になって聴こえてくるから心底驚いた。メロディアスながらも若干どこへ行くかわからないような展開とソフトなSam Prekopのヴォーカルは変わりないので、そこら辺に気を取られすぎていたのかも知れないのだが、実はそれらを取り巻く音環境が包み込むような感じであり、そして逆にこちら側にもその広がりが迫ってくるような感じなのである。音に暖かみが増したような感じもあるのだが、いずれにせよう大層大らかな、そしてやさしいアルバムになっている。家で聴くとそういう何だか激しく以前とは違う印象を受けたのだった。で、それから車でもまた聴いてみたのだが、車で聴くと何だか、前とあんまり変わらない印象だったりするから悩むところである。やっぱり家で音楽を聴くって大事なのかもなあ、と全くもって感覚的な話ながらも思わせられたりしたのであった。でもこのアルバム、結構このバンドとして突き詰めるところまで行ってしまったような感じがあるので、次作はどうなるのか、と楽しみと不安とが入り混じった気持ちにさせられるのであった。まあ、彼らだったら多分何だかあまり変わってないようで、凄い展開になったりしていそうなものだが。