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tdsgk2008-01-08


今日、ここでは御馴染み、我が高校の同級生の「歩く追憶のハイウェイ61」というか「歩くニューポート・フォーク・フェスティヴァル」というか「歩くノー・ディレクション・ホーム」からメールが来たのであった。曰く、「レコードボウル」という言葉で検索をかけろ、と。

レコードボウル?レコードをピンにしてボーリング?とか色々思ったりして実際検索をかけてみたらこんなものが出てきた。ギニャー。

メールを送ってきた我が友人「歩く雨の日の女」も、「恐ろしいもの」という形容をしていたが、本当に恐ろしい、というか何と言うかパッと見グニャリといきそうで、気持ち悪い、という形容がニートな気もする。いやーこういうのがアートっていうのか、魑魅魍魎じゃのう、とか思ったりしたがもっと恐ろしいことに思い当たったりした。

一応「廃棄寸前のレコード」を用いてこういう作品を作っているようであるが、「廃棄寸前=誰も聴かない」というわけではない。もしも、もしもどっかのゴミレコードの山の中に自分が聴きたいな、というレコード、例えばMarc Almondの12インチとかPlay DeadのLPとかMarch Violetsの12インチとか(廃棄寸前になってる可能性高し!)が紛れていて、こんな、こんな姿に成り果てていたら、とか考え始めるとノイローゼになって叫びだしたくなるような衝動に貴兄貴女は駆られぬか?

それは考えすぎだとしても、あろうことか上記リンクのところには「ロハス」とか「リサイクル」とかそういう言葉が踊っている。まあ、誰も聴きたくなくて手放してゴミになるようなものだったらば、確かにリサイクルかも知れない、とは思うが、ロハス、ねえ・・・。

まあ、私としては寧ろもう原形を留めぬように加工して、何か全く別のものに作り変えてもらった方が気が楽な気がしないでもないのだが、とか思ったりしたのであった。

Saiko Tsukamotoの「Tiny Finger Pianist」を聴く。Museum Of Plateの、そしてカフェ経営者、食の研究者(?)としても御馴染み彼女のソロアルバムである。これが彼女のピアノのみ(曲によってはうすーく寄り添うようにシンセが入ったり、最終曲ではパーカッションが入ったりするが)の実にシンプルなソロアルバムである。美しい、素朴なメロディをピアノのみで弾いているのである。聴きやすくないことがあろうか、いやない。しかしそれが単なる安易なBGM的なものだとか、癒し的なものになっていないのは、全体を貫く穏やかな緊張感なのではないだろうか。非常にゆったりとしてはいるのだが、それでいてだるー、と何かに引きずられるようなことはなく、しっかりとピアノが立っている印象を受ける。だからこそ、最終曲のパーカッションは蛇足だったのではないか、とか思ったりするのだが、まあアクセント、と考えれば良いのであろう。そして耳なじみが凄く良い。思えばGonzalesのソロアルバムSolo Pianoもピアノ1本でのアルバムではあったが、あれに比べるとこちらの方がカヴァーも入ってるし、メロディも人懐っこい感じで親しみやすい。ちなみにカヴァーというのはElvis Costelloもカヴァーした「She」(私としてはVegasもカヴァーした、という印象だが)とThe Policeの「Every Breath You Take」ともう1曲、「Higher Than The Sun」である、Primal Screamの。先の2曲はある程度安心してやっぱこういう感じだよなあ、と納得して聴けるのだが、Primalのこの曲は「おおおおこんなになって!しかも言われてみれば原曲もこういう感じだわ!」と目から鱗の壮絶に絶品な衝撃カヴァーで泣ける。この路線でもう何枚か、是非作ってもらいたいものであるが。