Carry On Up The Morning

腕時計を新調したのである。

それまで10年以上メインで使っていた腕時計があるのだが、ベルトループが壊れ、交換しに行ったらもはや部品の在庫がない、と言われてやさぐれたものだが、遂に新調したのである。何、CABAN de zuccaとか縁遠いブランドだったのだが、なかなか良い時計ではないか。

という感じなのであるが、どうも職場の時計とは1分くらいずれているようである。1分くらい進んでいるようである。あれ買ったばかりだから時刻合わせてあるはずなのにな。しかしここで思い出したことがある。上記の10年以上使っていた時計も若干ズレがあった。その後繋ぎで使っていた腕時計も3分から1分のズレがあった。

職場がおかしいのかも知れない(まあ実際頭おかしいような連中もいることにはいるような感じであるが)が、考えてみると私の腕時計とぴったり合致した時計を見たことがない。否、この表現は若干伝わりづらいかも知れない。どうしても私の腕時計とぴったり同じ時刻を指しているような時計、というのもここ最近見たことがない。

んなもん117をダイヤルして合わせれば済むじゃん、とは思うのだが、なかなかに私の腕時計と他とのズレ、というのは象徴的なことなのかも知れない。多分他のものと私自身とのズレというものがあるのかも知れない。それは自らの腕時計に影響を与えるくらい。だからどこか他の時計と私の腕時計が合わないのは至極当然なことであって、それはつまり私という人間と他のものとのズレを端的に表しているからなのである。

確かに職場では違和感を覚えたりもするし(まあ実際誰もが違和感を感じるような連中もいることにはいるような感じであるが)、この間もハードオフで91年、92年当時の12インチを最新だ!とか言って盛り上がってあっつく聴いたりしているし、己の時間軸に、もっと言えば己の軸に従って日々過ごす私にとって見れば、他とのズレが生じたところで実にしょうがないのかも知れない。

でもここで大事なのは私の腕時計は必ず進んでいること、なのである。そう、多分そのズレというのは他者よりも先んじているようなズレなのである。だから私の時代がやってくるのも、そう遠くはない未来のことなのであろう。しかしその時には、私はやはり先んじて進んでいるのだ!

とかいうことを大真面目に言い始めたら本当に発狂し始めたことの表れなのかも知れないが、自覚しているうちはまだマシか。Baby Shamblesの「Shotter's Nation」を聴く。何だかスキャンダラスな話題ばっかりが報じられることの多いPeter Dohertyであるが、しっかりこんなに良いアルバムを出してくれるのだから、最早何も関係ないのであろう。前作「Down In Albion」はヨレヨレながらも肝心なところは決まっているような、そんなズレとキメのバランスが面白い快作であったが、Stephen Streetをプロデューサーに迎えた今作は、もう、ヨレっとした部分はあるにせよ、それをしっかりと一部に取り込んでしまって疾走するような、痛快なロックンロールアルバムである。何よりも泣きのメロディがビシバシ決まっていくのがたまらない。The Only Onesみたいな、というと思いっきり言いすぎなのは百も承知であるが、それに近いような、ヨレと泣きの塩梅であるように感じられる。ジャジーな展開があったり、アクースティックギター弾き語り風ナンバーがあったり、と結構ヴァラエティ豊かな作風なのだが(こないだのEPでのスカナンバーは最高だったなあ)、何か余裕綽綽って感じでもなく、切羽詰って、これ以外の表現はないんです、みたいな勢いが全編から感じられるから、どこか信頼できるような気がするのである。ギターが背筋が伸びるようなフレーズやらリフやら奏でるところにもハッとさせられるし、バンドのノリとしては今が一番乗っているか、乗ってきている状態なのであろう。あとは健康に気をつけて頑張って良い作品を出してもらいたいところである、という何かお手紙のまとめみたいになってしまった。しかし私はThe Libertinesも全然興味持てなかったのに、何故かBaby Shamblesは嫌いになれない、というか寧ろ大好きなのであって、「好き」という気持ちを説明するのは難しいものだなあ、と痛感させられたりもするのであった。