The Wanderer

こんな風に高度情報化社会になって、欲しい情報は何でもすぐに手に入るようになったわけである。

誰かに電話で聞くこともあるかも知れないけれども、インターネットのお陰でもう本当に「謎」はこの世から消えてしまったように思えるし、「知らないこと」もなくなってしまったかのように思える。

けれども、本当にそう感じている人がいたら、それは傲慢というものだと思う。と同時にもしかしたらその人は何でも知りえてしまうってのは逆につまらないものかもな、とかそろそろ思い始めている頃かも知れない。

しかし、上記のように情報は何でも手に入れることができるわけだが、それはやはりあくまで能動的に動いた時の場合である。私のように何事も受動的に動いてしまう人間の場合、結局知っていなければならないはずの情報が入手できなかったり、ということが多々あるわけである。ここら辺はどんなに便利になっても、やはり人間性というものに拠るところが大きいのかも知れないなあ、としみじみ感じたりする。機械は進化したとしても、使い手が人間である限りはやはり何も変わらないものなのかも知れない。

ちなみに、何故こんなことを知ったかと言うと、昨日たまたま、大好きだったHAL From Apollo '69のギタリストだった山田"zoe"貴久氏が昨年逝去なさっていた、ということを雑誌でたまたま目にして、その後慌ててネットで色々見たり、ということがあったからだった。自分としては知っていなければならないはずの情報であったはずなのに、何故1年以上も知らぬままでいたのか、と彼の訃報に接したショック以上に、自らの能動性の欠如や、何でも知ることができるはずのこの世の中なのに何故・・・、という思いに打ちのめされてしまったからであった。

何だかやるせない気分になったりしたのだが、まあ焼酎でも飲んでFloratoneのアルバムを聴いて生きていこうではないか。売れっ子セッションドラマーMatt ChamberlainとBill Frisell等によるユニットである。そうか、Matt ChamberlainってEddie Brickel And The New Bohemiansのメンバーだったのか・・・。さて、Blue Noteからのリリースである今作では時折コルネットヴィオラなどの客演が入るものの、基本的にはギターとドラムス、そしてゲストのベースの絡みからなる実にシンプルなアンサンブルが聴ける。しかしさすがにプロデューサーが2人もメンバーとして名を連ねるだけあって、ダブっぽい加工やら音の分離具合、そして逆にくっつき具合などは、実に練られていてとても丁寧な作りのアルバムに仕上がっている。しかもNonsuch時代のBIll Frisellを彷彿させる、優しい、メロディアスなフレーズの頻出するナンバーばかりで、あの時代の彼の音楽のファンである私としては、そうかあの所謂「アメリカポピュラー音楽研究期」の発展形のような作品なのだな、と嬉しくなってしまうのであった。加えてMattの多彩なドラミングも聴き所で、実にしっくりとBillのギターとマッチしているのであった。ジャズとかそういう括りは私には分からないが、そういうものを飛び越えて優しく、そして力強くも繊細な、不思議とホッとできる作品である。和むのう、とかまとめてはいけないかも知れないが、実にリラックスできる音楽。