幸福の会話

休みだからと言ってのんびり9時くらいに起きれば、午前中宅配の宅急便の荷物が8時52分くらいに来ていて再配達を頼まなければならない。昨日の昼間の番組を、何故か夜の番組と勘違いしていて録画し逃す。水道周りの修理屋が2時以降に来る、ということで大慌てで2時に間に合うように帰宅しなければならない。

というように「時間」というものによって凹ませられたり、追い立てられたり、という日々が続くと、いかに我々が時間というものにがんじがらめで緊縛されて生きているか、無意識に時間という縄師によってガンガンに縛られているか、ということを気づかされるものである。

こういうことが続くと、嗚呼もう解放されたい!時間の関係ない世界に行きたい!となってきたりするものである。何と言うか、決められた時間云々と関係なく、自分でやりたいときにやりたいことをやり、とかいう生活って良いなー!とかという非常に無邪気な思いが頭を擡げてくるものである。

そうなってくると逆に、いつの間に自分はそんな、紋切り型な「自由」とやら「解放」とやらを切望する、ゴマンといる人間のようになってしまったのだ、それで良いのか、そんな石川優子チャゲの歌みたいな世界を望むような俗物になってしまったのだ、と頭の中の声が私を責めたてるものだから困り者である。そうだ、私たちのような小市民は時間に追い立てられてキュウキュウ生きなければならないものである。それを甘んじて受け入れた上で余裕を持っていかなければいけないものである。時間に関係のない連中なんてのはよっぽどのブルジョワジーが悪人か偽善者共だけである。そういうクズ共になっていない、つまり時間でキュウキュウと生きている上で自分の生活を成り立たせている、ということを寧ろ喜ばしく思うべきなのではないか。

とは言え、ちょっと疲れを感じたりもするものである。でもそれではイコール人生に疲れてしまった、ということになってしまうので、この疲労感はほどほどのものにしておきたいものである。ということで中納良恵の「ソレイユ」を聴く。Ego-Wrappin'のヴォーカルの彼女のソロアルバムである。1曲を除いて全て彼女の曲で、しかも彼女のピアノ弾き語りを元に鈴木惣一郎とかあらきゆうことか青柳拓次とか向井秀徳とかがアレンジした、というアルバムである。ここ2作ほどのEgo-Warppin'のアルバムは私は本当に大好きで、ことあるごとに聴いているのであるが、このソロアルバムも凄くすんなりと聴けるのに、実はとんでもない密度のアルバムである。結構ヴァラエティに富んだアレンジャー達が集っているためにバランバランになりそうなものであるが、彼女の歌、ピアノなどがビシッと全体を締めているので不気味に統一感が溢れている。力量がない人だともしかしたら散漫な作品になってしまいそうなものを、「色々あって面白い」という作品に仕上げている存在感は凄いものがある。メロディがまず何よりも人懐っこいし、それでいて甘ったるくはなく、そして彼女のヴォーカルも様々な表情を見せながら実に凛としている。ギター中心の向井秀徳アレンジ曲も面白いし、実にシンプルなアンサンブルで聴かせる鈴木惣一郎アレンジ曲も面白い。手を変え品を変え、な青柳拓次曲も面白いし、実は中納良恵のソロアルバムでありながら、各アレンジャーのガチンコ勝負的な側面も。まあ、聴いているこちら側としては何も考えずに楽しめるのであるが。しかしこのジャケット、HermineのコレLonely at the Topに似ているよなあ。偶然、ではないだろうなあ、もしやオマージュ?とか考えると楽しいものがある、って楽しめる人はあんまりいないのかも知れないけれども。