Every Beat Of The Heart

tdsgk2007-08-08


そういえば我が街の七夕祭りも今日で最終日なのであった。

まあ私にとって七夕祭りと言っても「タワーレコードからHMVへと渡る際に大きな障害になるもの」程度の認識なので別にアレなのだが、思えば私は昔からあまり祭りとか、そういうものにあまり入れ込んだりしたことがないなあ、とふと思ったりしたのである。

何もコレはガキが「けっ、祭りなんてよ」とか言っていきがるのとは全く別次元の話であって、全く興味がなかった、というか。寧ろいきがって「好きではない」というポーズを気取っている方がどんだけ健康的なことか、と思ったりするのである。

これは多分旅があまり好きではない、とかそういうこととも密接に関連しているのかも知れないが、多分私は「ハレ」と「ケ」で言えば「ケ」の方にどっぷりなのであろう。だからこそ普通はたまの祝祭的な「ハレ」ではじけたりするものなのであるが、あまりにも「ケ」にどっぷりな故、そこまで行くヴァイタリティが生まれてこないもの、と思われる。

人間こうやってどんどん人間が小さくなって、せせこましくなって死んで行くんだろうなあ、とかいう結論を出されては元も子もないのであらかじめ拘っておきたいのだが、「ケ」というか「日常」を充実させることにまず私の場合必死なのである、多分。なんとか正気を保って生活するための基盤を作ることに精一杯なのである、多分。もっと言えば「ケ」と「ハレ」を同化させることをテーマに生きているのである!多分。

とは言え、結局は面倒くさがりやの出不精なだけではないのか、という思いが自分の中にもこみ上げてくるのだが、まあ、多分そうなのである。祭りやってる暇がない、というかキャパシティが狭い、というか。なんだか今日はしょぼくれた感じのNag3だなあ。

ということでThe Railway Childrenの「Native Place」を聴くのだ。今や中心人物のGary Newbyは土屋アンナとかAKB-48のメンバーの楽曲を作曲したり、編曲したりしているらしい、という衝撃的なことを知った昨夜はなかなか眠れなかったが、この作品は90年リリースのサードである。この後解散し、Gary1人バンドとして復活して駄作をリリースしたりしているが、まあ、このアルバムまでをフォローしておけばまずはオッケーであろう。思えばデビューはFactoryからで、The Smithsの後を継ぐのはこいつ等だ、みたいな盛り上がりがあったがあっさりVirginに移籍して地味なアルバムを出したりしていたのも今にして思えば、自分達のスタンスをしっかり見つめて活動していたことの表れなのであろう。ところが今作は結構勝負に出た作品だったように思える。単なる地味なネオアコ的バンドだったのが、いきなりプログラミングは導入するわ、ハードエッジなギターは導入するわ、で格段にパワーアップした作品だからである。それらの試みが全くうわっついた感じに聴こえないのは、これでもか、とキャッチーで爽快なメロディを持った充実の楽曲群のお陰である。まあ、さすがにドラムマシーンみたいなドラムの音には若干、なんだかな、という感じを持ったりもするのだが、そんなことも関係ないくらい名曲のオンパレードで次から次へと強烈なフックを持った楽曲が飛び出してくるのである。Aztec Cameraで言えば「Still On Fire」の次に「Oblivious」が来て「Somewhere In My Heart」が来て「Pillar To Post」が来て最後に「The Crying Scene」みたいな、と表現したらよく伝わるであろうか。否、全く言い過ぎではない。それくらいのレヴェルの名曲がギュッと詰まった名作なのだから仕方がないのだ。