Kalmiya

このように蒸し暑いと、何かこう、カラッとしたものを欲したくなるものである。

嗚呼、なんと漠然とした、と思われる向きもあるかと思うが、多分頷いていただけるであろう、そう「カラッと」したものである。ただでさえ纏わりつく暑さとか湿気とかで、人間おかしくなりがちなこの時期だから、できるだけカラッとした飲み物、食べ物、人、話、そういったものを求めるのは至極当然のことであろう。

私自身がこう、非常に割り切りが良い、というか良すぎる、というかバサバサに渇いている、というか、という感じの性格なのでカラッとしていない人は苦手なわけである。で、そんな私がこういう纏わりつくような暑さの日に嫉妬深い、というかカラッとしていない性格の人間を相手にしなければならなかったりすると、これはもう、イラッとくる以外の何物でもないのである。

あ、これは別にここをお読みの方とは全く関係のない人間の話ですのでどうぞお気になさらぬよう。たまにはこういう毒づいたことを書きたくなるお年頃なのだ、ということをご理解いただければ。

ちなみに仙台弁では「嫉妬深い」ということを「ねっちょぶかい」とか言ったりするのだが、こちらの表現の方がなんか「にちゃっ」とした感じが現れていて実にニートだと思うので、皆さんも「嫉妬深い」の代わりに「ねっちょぶかい」とか言うと楽しいのではないだろうか。

で、私はこういう風にねっちょぶかい人を相手にしなければならなかったりすることもある仕事なので、時折こういうことがある。で、そんな時にはどうするかといえば、マザーファッカー、とか言ってビールをぐいっと煽って音楽聴いて終わり、である。ちなみに今日はネタではないがスーパードライの500缶をスカッと空けたのであった。むー無意識にドライなものを欲していたのか。

しかし音楽はJohn Zorn作品をMarc Ribotギター、Trevor Dunnベース、G. Calvin Westonドラムス、というトリオで演奏した「Asmodeus」という、少なくとも一般的にいう「カラッと」した感じではない、非常にやっかましいアルバムを聴いていた。いやーしかし極私的には実に「カラッと」いける音楽なのである。私はZornさんの「Masada」シリーズをまともに聴いていなかったりするので大したことを言えた義理ではないのだが、これは非常に格好良いのである。変拍子、というかそもそも3人が3人とも好きな拍子で演奏してたまに合ったりしているのではないか、とか勘繰りたくなるくらい奔放に各楽器が疾走する音楽なのである。しかしやはりRibotさんギターが、もつれているような、そしてその次の瞬間にそのもつれた目を一気に解きほぐすような、そういうプレイで実に爽快である。そしてベースは勿論どんな手の動きしてるのや、というようなフレーズの連発だし、ドラムスは実に猫の目の如くにパターンを変えて来るから、実に落ち着かない。しかしその落ち着かなさが不快なのではなく、逆にスリリング過ぎて何故か笑みがこぼれる。Naked Cityでの極端なまでの「変化しまくり音楽」の系譜上に位置する作品ではあるが、こちらはよりコンパクトに(編成が、であって曲の長さとかの話ではない)まとまっているから、より俊敏に、自由に全てが跳ね上がっているような、そういう印象である。実に爽快だなあ、としみじみ思うのだが、さてこの暑さのせいでそう感じるだけなのだろうか。否、そんなことはないはずだ。