Hello My Lover

過日、秋田の元校長先生が、定年退職後に山小屋風別荘で、趣味で集めたレコードによるジャズ喫茶を開店、とかいう記事を読んだのだった。

それを読んだ時には「うわー凄く良いなあ」という思いと、そんな自分を客観的に見て「いやいや、そんなよくあるようなセカンドライフ具合に憧れを持ってはいけない」という思いが共に私に去来して、結構大変であった。

果たして私も仕事を続けていったら、別荘が買えたり店持てたりするのだろうか。世の中サクセスストーリーばかりが表に出てきているものであるが、実はそれと同数の、もしかしたらそれよりもはるかに多くのフェイリュアストーリーがあるわけで、そっちに落ち着いてしまう可能性の方がデカイと言えばデカイ。

・・・世の中結局金、ってことなのか!・・・今のマスメディアで紹介される良い話ってのは結局!全て!金ではないか!・・・「金が全てではない」とか言うのは金持っている奴等の余裕綽々のピントがずれた発言でしかないんだ・・・。

セリーヌの『死体派』セリーヌの作品〈第11巻〉死体派なぞあっつく読んでしまったから突如文体に変化が訪れてしまったのであった。内容までもが何だか乗っ取られてしまったみたいになってしまったが。

しかし我が家にはどっちかと言えば個人の楽しみに特化してしまったようなレコードしかないので、実際問題店なんか開いてはいけないのではないだろうか、という根幹を揺るがす問題に直面したところで、やっぱりWilly Devilleの「Victory Mixture」なんぞを聴いているのであった。元ニューヨークパンク〜ニューウェーヴの出身である彼の90年作品である。ちなみに花田裕之氏が大ファンで、彼が住んでいる街だから、ということでThe Roosterzの「Passenger」がパリ録音になった、というのは結構有名な話である。さて今作はニューオリンズ録音で全曲カヴァー、Allen ToussaintやDr. Johnも参加、ということでどっぷりニューオリンズサウンドのアルバムである。とは言えニューオリンズサウンドがどんなものか、イマイチ明るくない私である。しかしここに収められているピアノが軽快にロールし、ホーンセクションが華を添え、リラックスした表情を見せるナンバー群は実に大好きである。どの曲もゆったりとした感じで、例のセカンドラインが顔を覗かせたりして、どこか微笑ましいのである。しかしそんな中でどこにも収まらないような、高めの声で熱唱するWilly氏のヴォーカルは、このアルバムをよくある「詣でて作りましたよー」的な作品とは異色のものにしているのであった。何か自分で完全に消化してしまったような、そういう勢いがヴォーカルから感じられるのであった。演奏は手堅いし、曲も全てハズレはないのだが、彼のヴォーカルがやはり何よりも聴きものではないだろうか、と思うのであった。あとこのどう突っ込んで良いのかわからないジャケと。しかしまさか私がこういうの聴いて喜ぶ日が来るとは思ってもいなかったなあ・・・。とか様々な思いはあれど格好良いのだから仕方がない。