Teddy Boys

昨夜のAOBA NU NOISEはお疲れ様でした。毎回毎回あんな選曲で良いんだろうか自分、と自問自答することしきりですが、これしか出来ないし、と図太く開き直ることができるようになったのは歳のせいか。

さて、暑いのである。まあ、夏は暑いのが当たり前であるから、至極当然のことに対して不平を言っても始まらない。お陰でただでさえイライラする日々なのに、更にイライラ倍増だよ、というのは責任転嫁も甚だしいところである。夏のせい、である。夏木マリスチャダラパーも何かとこの季節のせいにしてきたではないか。ポピュラーカルチャーに於いては、最早伝統のようなものなのだ、夏のせい、という言葉は。

ということはさておき。何だか我が街も昔に比べると暑さの質が変わってきたように思える。何と言うか、全身が包み込まれるような暑さに変容しつつあるように思われるのだ。例えば盆地を訪れた際に感じる暑さ、東京を訪れた際に感じるような暑さ、と同等の暑さになりつつあるような気がしてならない。

ひとえに温暖化のせいだ、とは言い切れないようにも思えるのだが、それが進行しているのはおそらく紛れもない事実なのであろう。もしかしたらそれの一部をこの街の暑さの変容、ということで体感しているのかも知れない。こうなってくるとやはり温暖化、とかそういうものを食い止めるために個人では何ができるだろうか、とか考えたりするものである。これは最早エコではなくてエゴの世界のことなのかも知れないが、エゴからエコがスタートするのかも知れない、洒落でもなんでもなく。やはり自分で体感しないと現実味がわかないものなのである、人間というものは。

しかしここまで書いただけで汗だくとはどんだけ、と思いながらKelly Willisの「Translated From Love」を聴く。メジャーからのファーストは14年くらい前に聴いた記憶のある、女性カントリー(一応)シンガーの新作である。その後ブランクがかなり空いてRykoからリリースが続き、5年ぶりのこの新作もRykoからのリリースである。今作は元Green On RedのChuck Prophetがプロデュース!!という私のようにこの1年で突如GORとか彼の大ファンになってしまった人間にとっては吉報以外の何物でもない話題がまずは一番でかいか。そしてJules ShearとかGreg Leiszも参加、という30代以上のある種のアメリカンロックファンにはたまらない話題もある。しかしやはりそういう話題だけの作品ではなく、カントリー、とかそういう言葉に囚われることなく実に女性ヴォーカルアメリカンフォークロックの大傑作なのである。久々に彼女の声に触れるのだが、近いといえばMaria McKeeの声に近いだろうか。しかし時にMariaさんの声は強すぎる時があるのに比して、こちらのKellyさんはどこか大らかな空気が漂う。カラッとしているというか何と言うか。そして曲は曲でツボを抑えたカラッとした楽曲ばかりで、それがまた良い感じの鳴りの楽器に乗ってこちらに届けられるわけだからもう、やっぱりたまらないのである。10,000Maniacsのカラッとした盤、とか言うと想像がつきやすいかも知れないが、実に心地よい、リラックスして聴けるアルバムになっている。Iggy Popの「Success」なぞ、Duran Duranのカヴァーより、そしてもしかしたら原曲よりももっと良いかも、とか思えてしまうぐらいの快心の出来栄え。今年の夏はこれで決まりかも、という予感も。