恋とマシンガン

しかし、wikipedia、って奴は凄い。

私のような未開の類人猿ですら、このように普通のこととして接続して何だかんだやっているくらいだから、インターネットの普及率は物凄い。で、色々弊害とかもあるようだが、調べものをする際には大変便利である。そんな時に、検索エンジンで大体ひっかかってくるのがwikipediaである。

別にこんなもの私の口から説明しなくても、というか私も詳しくはよくわかっていないに等しいのだが、ネット上で色々な語句を解説してくれている素晴らしいサイトである。ちなみに昨日話題にした「干物女」と言う言葉も調べようと思って検索かけたら、wikipediaで説明されていた。硬軟取り揃えたヴァリエーションだなあ、と感動した記憶がある。

で、日本語版は日本語版で素晴らしいのだが、英語版は感動的にカヴァーする範囲が広すぎて泣ける。大体にしてGiant Sandのギタリストについて検索したらwikipediaで解説されていた、とか過日このNag3で話題にした80年代映画トリビュートCDの、そもそもブックレットに載っている色々な映画って一体どんななんだ、と検索してみたら全ての映画作品について、wikipediaで事細かに一作品ずつ解説されていた、とか最早凄すぎてなんだか初めて火を見た原始人のような心境になってしまったのであった。挙句の果てにはM/A/R/R/Sの「Pump Up The Volume」という曲1曲についてもしっかりとwikipediaで解説されており、その成り立ち、レコーディングの際のトラブル、後世への影響までががっつりと書かれていて驚愕、と言うかインターネットによって世界が狭くなったとか言われているのに、逆に世の中にはすげえ奴等がいるんだなあ、世の中広いなあ、と感じられてしまい、インターネットのせいで世界が広くなってしまったのではないか、という始末である。

こういう所業を見ると人間というものはなかなかやるじゃないか、と思わせられる。道具自体は善でも悪でもなくて、それを使う人間次第である、ということを何かで読んだが、インターネットを使った善、としてwikipediaは輝いているなあ、としみじみ感動したのであった。

しかしその感動した理由が上記のような、一体お前は何を調べているのだ、というものばかりであるから、いかにインターネットが便利で、wikipediaが素晴らしい善の塊であったとしても、やはりどんなものを利用しても私は私なのだなあ、変わりえないなあ、という思いも強まるのであった。

とほほのほ、ということでThe Flipper's Guitarの「Singles」を聴く。あまり彼等に対して思い入れのない私であるが、今朝顔を洗っていたら突然「Love Train」のギターフレーズが頭の中で再生されて止まなくなってしまったので聴いている。これはタイトル通りのコンピレーションである。初期の英詞で、もろに「ネオアコ」(最早日本語である)しているナンバーから大ヒット曲(「予備校ブギ」ですね)、そして末期のサンプリングバリバリギタードリヴンなナンバーまで、美味しいとこだけぎゅっとつまったコンピである。私はオリジナルアルバムではサードしか好きではない、と断言してしまうような人間であるが、ここに収められている、キャッチーなナンバー群は無条件に大好きである。パクリがなんだとか方法論がなんだ、とかそんなことは最早どうでも良い。ここにあるのは「センス」というものがいかに音楽において重要な要素になり得るのか、ということの良い見本なのだと思う。まあ、あまり私には彼等のことを語る資格はないだろうからここらへんにしておくが、「カメラ!カメラ!カメラ!」の初期Aztec Cameraメンバーをバックに従えたヴァージョンはやはり最高だなあ、とか「Love Train」のツインドラムのガシャガシャした具合が良いなあ、とか色々各曲毎にこれでもか、というツボがあってやられるのであった。