Deepless

tdsgk2007-07-11


最近思うのであるが、今の若年層、主に10代だけれども、はネットで書かれたことが人心に与える影響、というものについてあまりにも無頓着なのかなあ、と思うことがここ最近ある。大いにある。

まあ、別に若年層に限らず良い歳して、グダグダの日々を全体に向けて公開しているような、というか「普通こういうこと書いて暴露しないだろー」的なことまで思いっきり書いて公開しているような輩も沢山いるにはいるのだが、若年層だと、仲間内でのやり取りを思いっきり仮想状態の中で再現できると勘違いして持ち込んで、結果、現実社会での人間関係に傷跡を遺したりしている連中が多いように見受けられる。

でも実際、mixiなどやっていると、まるで普通に友人と会話をしているかのように日記にコメントを残したりできるし、(一応)クローズドな状態だから、という安心感も手伝ってか、結構あけっぴろげな方々も見受けられる。しかし、10代の若年層だと、(一応)クローズド、とされている環境でなくても現実社会に於けるのと同じテンションで色々やってしまうから問題なのである。

まあ、現実社会と仮想社会の区別が云々、ということを大きく言いたいわけではなくて、もっと根本的な「書かれている言葉」と「話されている言葉」の違い、というものに気づくのは一体何歳くらいで、どんなきっかけなのだろうか、ということを私は知りたいなあ、と思ったりするのである。大体は自然に「気遣い」というものと同時進行で気づいていくのだろうけれども、それがどうも最近完成されるのが遅い、というか欠落したままの状態の人が多いように思えるのだった。

まあ、かく言うこのNag3も別にね、書かなくても良いようなことを敢えて書いているような、そういう文の連なりの集合みたいなものなのであまり大きなことも言えないのであるが、「一般化」ということには随分心を砕いてきたように自負している。たとえネタが一般的でないにしても。

Coaltar Of The Deepersの「Yukari Telepath」を聴く。5年ぶりの新作である。5年前のアルバムが何か、私にとっては感じがあまり良くないアルバムだったのでちょっとCOTDに対する思いも冷め気味だったのだが、このアルバムは何だか心地良いのである。基本線は変わらない。時にスラッシーになる爆音ギターにバタバタ手数の多いドラムス、唐突に挿入される打ち込みやシンセ、ポップなメロディ、そしてデス声からまるで女子のような高音まで使い分けるナラサキ氏のヴォーカル、という要素はここでも健在である。またボッサ趣味も相変わらず窺える。多分そういった要素というものは彼等の作品に於いては何らかの形で常に存在しているものなのだが、そこら辺のバランス加減によって、個人的に入っていけるか行けないか、が決まってくるのかも知れない。今作はがっつりと入っていけた。何と言うかそれらの要素をうまくまとめ切れているような作品に思える。ただ、惜しむらくは、相変わらずメロディはポップなのだが、もう少しフックがあると更に盛り上がれるかなあ、と個人的には思った。しかし、ある意味ストイックに進化した作品、と言えるであろう。雑多な要素を詰め込むだけ詰め込んでストイックになった、というのも結構凄いことになっている、そんな作品ではある。