Why Should I Settle For You?

私の職場の近くで、駐車場に停めた車の中から女性の全裸死体が発見される、という酸鼻な事件が起きてしまったのである。

これがまたよく通る道沿いだったり、友人の家の近くだったりするから何とも、私の日常の位相がちょっとおかしくなってしまったような、そういう事件に思われるのである。意外に被害者の方の家が我が家の近くだったりするのもアレである。

で、全く自分には関係ないのであるが、何故か私はこういう時、自分のアリバイを確認してしまう、ということが今回発見した自分の驚くべき一面である。実際何ら関係ないのであるが、その時俺は家にいて夜は一歩も出なかったよな・・・、とか酒飲んでないよな・・・、とかいちいち確認してしまうのである。

何故だろうか。確かに酒飲むと私が私でなくなってしまったような行動もとりかねないほどペロンペロンになって知らない駅で降りたり、家の前の駐車場で寝ていたりしてしまう私であるから、「もしかして自分でも知らないもう1人の自分が・・・?」というような恐れが潜在意識としてあるのだろうか。それともみんなそういう風に、こんなことが起きたら考えるものなのだろうか。

とか書いて重要参考人扱いになったらどうしようか。そうしたら我が家に捜査員に入られてしまう。となると、最早私が犯人です、といわんばかりのレコード群と蔵書群なので圧倒的に不利である。皆さん、私の潔白を証明してください!

と妄想が止まらないのは週のスタートからお疲れモードか。Candie Payneの「I Wish I Could Have Loved You More」を聴く。何でもZutons(聴いたことない)とかThe Stands(知らん)のメンバーを兄に持つ女性のデビューアルバムである。Deltasonic、という注目のUKレーベル(今まで聞いたことしかなかった)からのリリースである。これが何だか、奇妙な魅力を持つポップなアルバムなのでちょっと面白い。最初聴いた感じではPortishead?と思わせるリヴァーヴのかかりまくったギターにちょいと気だるげな女性ヴォーカル、そして甘いメロディ、という取り合わせなのだが、その印象は段々変わってくる。まず何よりヴォーカルが大層キュートであるし、そして曲もどちらかというと60年代ポップス風のメロディを持つ、意外に王道的な感じである。そうか、60年代ポップスを今様に解釈してデフォルメした感じなのか、とアルバム1枚聴いた時に会得できるのだった。Portisheadというとどうしても底なしのへヴィさ、センチさが付きまとうが、そんなに重い音楽ではなく、寧ろNancy Sinatra的な(とくにLee Hazlewoodが書いた曲のような)翳り、という形容の方がぴったりであろうと思う。何か大事に聴きたい1枚である。