Hope There's Someone

ということで、今私は気の進まぬ用件で家を離れて(明日帰るのだけれども)山に来ているのであるが、結構時間は取れるものである。

で、別段何もせずに大きな窓からボーっと時が過ぎるのも忘れて外の景色を見たりしている。雪景色のふもとの様子、それを分断するように、または、両側を縫い合わせるように走る2両編成の列車。近くの高速道路。その上の、とてもスピードが出ているはずなのに余りにも遠くから見ているが故に、ふざけているのかと思えるくらいノロノロと走っている車。大きな湖。それを取り囲む銀色の山々。とても広大な景色なはずなのに、あまりにも全てが見渡せてしまうから何だか不思議だ。

そしてそれらはとても美しく見える。人間がそこには存在していないような錯覚すら覚えてしまう。そう考えてみると、こんな人間の営みはとてもちっぽけなのだなあ、とか悩みとか色々あったとしても、別にそんなのは大したことではないんじゃないか、とか色々思えてくるものである。

とかなんか気持ち悪いことを平気で書いてみたくなったので書いてみた。しかし、早く家に帰ってビール飲んでごろりとしてえ、という気持ちには何ら変わりはない。当然である。それはそれ、これはこれなのだから。

という風に割り切りが良いのが私の長所でもあり短所でもあるのだなあ、と思いつつAntony And The Johnosonsの「I Am A Bird Now」を聴く。2004年リリースの作品であるが、私にとって、このアルバムはこの10年で出たアルバムの中で最も重要な作品である。と断言できるくらい聴いている。それでも聴きたくなる。そして聴いて本当に心の底から震えるくらいの感動を覚える作品なのである。Antonyさんのゲイとしてのセクシャリティの話は別にこの際置いておいて、ここまでセンティメンタルなメロディを持った楽曲群というのも珍しい。そしてそれを震える美声で朗々と歌い上げるAntonyさんのヴォーカルもまたここ最近感じ得なかった強烈な個性である。Boy GeorgeやRufus WainwrightLou ReedにDevendra Banhart、といったゲスト陣も豪華ではあるが、それをきちんと彩りを添える共演者として役割を割り振っているAntonyさんの仕切りのセンスというものも、実に素晴らしい。映画「あなたになら言える秘密のこと」でも使われていた(ようである)1曲目から、真っ逆さまにこのアルバムの世界に突き落とされ、そして二度と這い上がれない、そういう蟻地獄のようなアルバムでもある。実に危険、であるがしかしこのような甘美な地獄ならば全く構わない、とつくづく思うのであった。今日は何か上も含めて気持ち悪い表現が結構見受けられるが、まあたまにはこんなNag3も良いかしら。