呼続

さっき、携帯電話で話しながら横断歩道を渡っていた女性が、信号が赤になったのにも気づかず歩いていて、車に危うく轢かれそうになっていた。

最近色々物事が便利になってきて、生きるのはとても楽になってきたように思えるのだけれども、同時に死ぬことにもどんどん近づいてきているのかも知れない。上記の件は、とてもよくある光景で、もしかしたら単なる「事故」として片付けることができるような事柄なのかも知れないのだけれど、何か象徴的なことのように思えたのだった。

車にしろ飛行機にしろもっと言えば火にしろ、そういったものは人間の「生」にとっては便利なものなのだけれども、同時に「生」を「死」へと近づける、自滅のプログラムの一要素として登場してきているのかも知れない。まあ、はなっから人間というものはそういう存在なのかも知れない。

とか考えているのは何か最近心身共にお疲れ気味だからか。Kahimi Karieの「Nunki」を聴く。私は彼女の作品では誰が何と言おうが「I Am A Kitten」が好きだ、「Girly」が好きだ、という実に所謂「渋谷系」な人間である。だからここ最近の彼女の音楽はちょいと苦手であったのだ。菊地成孔が参加しようが何しようが、ピンと来ない曲が多いアルバム作られたんじゃあ困る、という感じであった。『デトロイト・メタル・シティ』のねぎっちょも多分そういう思いだろう(知らん)。しかしこの大友良英、Jim O'Rouke、ヤン富田、という何だか大変なプロデューサー陣を迎えたアルバムは凄く良い。何か雰囲気だけみたいな曲が彼女のCrue-l以降のアルバムでは多かったような気がしていたのだ。だからこそ私は上で述べたようにミニアルバム、という形式、もしくはマキシ的な作品が好きだったのかも知れない。しかしこのアルバムはがっちりと1曲1曲、強烈な存在感を放っている。単に大暴れなバッキングの上で彼女の囁き、みたいなお手軽な作品だったら誰でも思いつくかも知れないし、実際そういうのもアリだったのかも知れないが、1曲1曲しっかりと彼女の声とバッキングを丁寧に丁寧に突き詰めていったような、異常に穏やかながらテンションの高い作品に仕上がっている。と同時に決して難解ではなく、何だか曲が凄く良いし、どこかさっぱりとしているのがまた魅力である。ギター、をこれ見よがしにではなく、気がつけば、程度に大フィーチャーしているところも何だか凄くしっくりくる。最近同じアルバムを繰り返し繰り返し何度も何度も連続して聴くのが習慣になっているのだが、これもそんな聴き方で全く飽きない傑作。