A Special Path

私がここ最近、非常に能動的に積極的に「漫画を読む」ということに取り組んでいることは以前ここでも述べたので、恐らく皆様ご存知かと思う(と同時に結局はラーメン屋で『モーニング』をよく読んでいる、ということだけで、しかも『島耕作』と『OL進化論』と『クッキングパパ』しか読んでない、ということもよくご存知かと思う)。

そんな私であるが、遂に「これだ!」という、まるでジョン・ランドーがBruce Springsteenを発見したときのような(分かりづらいたとえですみません)感動に震える漫画を(『OL進化論』でひとしきり笑って『クッキングパパ』に移動する途中で)発見したのである。

ひまわりっ健一レジェンド〜』ひまわりっ~健一レジェンド~ 1 (1)ひまわりっ~健一レジェンド~ 2 (2)ひまわりっ~健一レジェンド~ 3 (3)がその漫画である。あまりにも面白いので単行本を一気に買おうと思ったら、我が家の近所のツタヤでは第1巻のみ、他の大型書店3軒くらいでは第3巻のみしか発見できず、駅前の漫画専門店でやっと全巻買えた、という物凄い苦労の末に読めた単行本である。ネット通販ビジネスの隆盛の理由もよくわかるような経験をしてしまった次第である。

しかしその苦労も見事に報われる、壮絶な面白さで、さっき1人で家で爆笑しまくってしまった。結構最近自分は内向的かも、と思い始めていたのだが、それに追い討ちをかけるような事態で、ちょっと軽く人知れず凹んでみたりしたが、それくらい面白いのである。

ストーリーだの何だの、は上のリンクで飛んでamazonの解説をご覧になっていただければ良いのだが、私はこの漫画に「漫画ならでは」の面白さをビンビンに感じるのである。決してドラマ化はできないような、もしくはしたら全然面白くないであろうな、そういう「漫画だからこそできる」側面がビシビシ入っていて、それがストーリー展開までをも左右するような存在感であるから、物凄く衝撃を受けたのであった。というか毎話毎話こんなに爆笑する展開をてんこ盛りにして過剰なくらいなのに、よくそれが尽きないものだ、と滂沱の涙を流して感動するほどである。

阿部和重氏も絶賛らしく、第3巻の帯には「『ドラゴン桜』よりも社会勉強に役立つ漫画ですね。」との言葉を寄せている。まあ『ドラゴン桜』を生徒に読ませて悦に入っているような教育者どもはどいつもこいつも犬に喰われちまえってんだ、というかあんな面白くもねえ漫画はどこにでもあってすぐに手に入るのに、なんで『ひまわりっ』を買うのにこんな苦労しなければならないんだ、というかあの絵を見るだけで虫唾が走るんだ、とか思う人には(私とか)、この阿部氏の言葉は痛快、以外の何物でもなくて、そこでもまた感動したのであった。早く第4巻は出ないのか、と今から気になりっぱなしである。

ちなみに寡聞にしてこの作者の東村アキコ氏のことは何も知らなかったのだが、ちょっと調べたら巷で噂の音楽ポータルサイト「ナタリー」のキャラクターを書いている人ではないか!つながった・・・(私信:id:spo0nさん、登録してみました)。

ということで「Wayfaring Strangers: Ladies From The Canyon」を聴く。これはコンピでBecky SeversonやCollie Ryan、Ginny Reillyなど14組の女性フォーク・アーティストの曲を集めたアルバムである、って見事に1人も知らねえ・・・。まあ、何かで「Joni Mitchellになれなかった女性たちの」アルバム、とかと紹介されているのを見たのだが、そういうわけだからかなりマイナーな方々しか入っていないわけである。しかしマイナーだからと言ってB級なのか、ということは全く当てはまらず、これがまた凄く良いのである。『Mojo』誌では「SillとかPerhacsとかBanyan、とかよりも深い」とか紹介されていて、まあ、それは言いすぎだろ、と思うのだがそれもまた頷けるような、美しい声、美しいメロディのナンバーがぎっしりなのである。中にはMarine Girlsを思わせるような楽曲までもがあって、知らないだけで、まだまだこの世の中には私が出会っていないだけの素晴らしい音楽はあるのだなあ、とまたしても認識させられる、そういうアルバムである。本当に全曲良いので「これは誰なんだ・・・?」とか考えずにずーっと「この声良いなあ」とか「このシンプルなギターのバッキングが良いなあ」とか「この曲泣けるな」とか素朴に感想を抱きつつ聴けるのでなんか新鮮である。ちなみにこのThe Numero Groupというレーベルのカタログにはこういうのが多いのかな、と思って調べてみたら「Eccentric Soul」とかいう訳分からんシリーズものとか、挙句の果てにはなんとAntenaの「Camino Del Sol」の再発とかがあって、全く訳分からんと同時にここでもこうしてつながってしまうのか、と己の業の深さを感じたりもした次第である。