Moody ( Spaced Out )

我が家でカセットが聴けなくなってから随分経つ。まあ、別にCDとかレコードとかを聴くことが99.99999%なので別に苦にはならないのであるが。

こんなページを我が友人である、「廃墟の街」、というか「ネヴァーエンディングツアー」、というか「「No Direction Home」LPボックスセット返品?」というこのNag3ではお馴染みの彼がメールで教えてくれた。これ、英語で書いてるから読みにくいと思うのであるが、要は「コンピレーションカセットを作るという行為にまつわるエトセトラ」について述べているのである。是非何らかの手段を使って読んでもらいたい。泣けるから!

全体的に凄く面白いのだが、一番私がこの記事でなるほどー、となったのは、テープを作って人にあげる、という行為は「同好の士にこれどうよ、と聞く」という目的であれ「意中の彼・彼女に思いを伝える」という目的であれ、非常にナルシスティックなものである、というところか。うわー俺は中学時代が一番ナルシスティックだったのだなあ、と恥ずかしくなると同時に、ということは私の友人にもテープ編集の鬼だった人間が結構いるのだけれども、そいつらもナルシスティックだったのかなあ、とか思えて笑える。

でもテープ編集にはかなり気合い入れたものである。別に意中の女子に渡したことは、んー、あったかなあ・・・?あ、別に意中じゃなかったけど渡したことはある。そうだ、高校の時だ。それがまさか、つい1週間くらい前に家でSpectrum聴いてたら、その渡した相手に「これ知ってる」とか言われて、はてはて何故だ・・・そうだそのテープに入れてたんだ!と驚愕する、なんてことが起きるだなんて14年前の自分には想像もつかなかった。おそらくその渡した相手もそうだろうなあ。しかしSpectrumとか編集テープに入れてたのか自分。記憶になかったが・・・。

あ、何か編集テープ、ということだけでどんどん自分のことを開陳しそうになりかけてしまった。危ない危ない。でもテープ編集ということと、CDを編集して焼くということはメディアが違うだけなのに、随分心持ちが違うなあ、と最近思う。CDだと実際に聴かないし、ポーズと録音ボタンを一緒に押して、その後緊張しながらポーズ解除、なんてしないし、時間の計算間違ってテープの片面に入りきらない、なんてこともない。その点では気軽になったし、量産も簡単だからどんどん作れるのだが、同時に何かこう、儀式的な(勿論それは言いすぎである)側面が失われてしまったなあ、という寂しさもある。

まあ、それは単なるノスタルジーなのかも知れない。でも、ともすると、CDの編集はまるでデータを処理しているような、無味乾燥なものにまで成り下がってしまう危険性がある。だからこそ、テープを編集する時のような「これからやったるぞ」的な気合いと共にやるのが一番理想だろう、と私は思う。つまり、CDの編集は実に簡単なことなのだけれども、気持ちをガーッと持って行くのが一番大変なのである。機械の面ではなく、人間の精神面に於いて、テープの編集時よりも大変なのである!このことに於いて無自覚ではいけない!

とここまで書いて来て思ったが、まあ別にどうでも良いと言えばどうでも良いことなのである。でも、そういうことに拘っていかないと人生、何もなくなってしまうわけであるからして。ESGの「Come Away」を聴く。最近再発にもなりましたな。これは99レコーズからのリリースとしては唯一のアルバムである。彼女達の場合、音の隙間とベースとドラムスとパーカッションの絡みが本当に絶妙で、そのバランスがESGの全てなのだ、と言い切りたくなる音楽なわけである。99時代の12インチ2種もそれはそれは素晴らしいのであるが、彼女達の音楽を知るにはその12インチ群からの曲も収めているこのアルバムが一番良いかと思う。私の場合、ちょっともたつくような重いベースとブレイクの度に回されるタムを聴くだけで興奮するような人間だからあまりアテにはしないでもらいたいのだけれども。それでもこの独特のグルーヴにチャーミングなヴォーカルがのっかってくると、最高のパーティミュージックの始まりだ、ということは感じられるであろう。しかも意外にメロディアスでキャッチーなのである。2000年代に入ってからのアルバムも2枚とも凄く良い作品だったので衝撃を受けたものだが、やはり原点とも言えるこのアルバムには堪えられない魅力がある。原盤あるから良いや、とか思っていたのだけれども、何か再発のCDも欲しくなってしてしまったのだった。しかしこのリンク先の画像は裏ジャケではないか。