Of Athroll Slains

節分の日には毎年結構律儀に豆をまいて、そしてそれを食べる私である。

節分の日当日は某カフェでの豆まきに巻き込まれたりしながらも、プライヴェートではしていなかったことに気づいたので、我が家で昨夜豆をまいた。我が家のドラえもんのぬいぐるみを鬼と設定し、それに豆をぶつけたが、途中からなんか可哀相になってきて勢いを弱めたことは言うまでもない。だって、豆をぶつけられてもニコニコして表情も変わらないのであるから。いたたまれない気持ちになったとしても無理はないであろう。

で、その後はお約束の「歳の数だけ豆を食べる」という儀式に突入したわけであるが・・・、いつからだろうか、こんなに食べる豆の量が増えたのは・・・。そして食べるのが辛い、と思うようになってしまったのは・・・。

落花生を食べていたのだが、途中から辛くなってきたのでルール変更して、「落花生1個=1歳」ではなく「落花生内の豆1個=1歳」という解釈になってしまうくらいであった。つまり結果的には落花生16個を食べる、ということに落ち着いたのであった。しかし生ある限りどんどん食べる豆の数は増加する一方なのである、考えてみれば。それはやはり、「今年も沢山豆を食べられるなんて、長生きできてよかった」と喜ぶべきことなのであろうが、同時に胃袋の方は悲鳴を上げる、という結果になってしまうわけである。心して胃の強化に努めたい次第である。

しかし柿ピーだったら意外に行けそうな気もするので来年はそれで行ってみようかと思う。節分的には邪道かも知れないのだが。

最近何かへヴィなNag3が多かったように思うから(そうでもないのだけれども)、こういうライトな感じのまとめも良いではないか。Brackenの「We Know About The Need」を聴く。私の大好きなHoodのフロントマン、Chris Adamsによるソロアルバムである。Hoodのメンバーのソロ、というと昔なんか凄いドリルンベースみたいなのやってる奴とかいたよなあ、あれ、元メンバーだったっけ?というように日々記憶というものは死滅していくものであるが、なんせ10年くらい前の話だからちょっとあやふやである。ここ最近Hood本体でもAnticonとのつながりがあったわけであるが、この作品もAnticonからのリリースである。というとバッキバキのヒップホップのりなのか、と思う向きもあるかも知れないがそんなことはなく、Hoodでの叙情はそのままにビート面での強化が図られ、さらには謎のミニマル的傾向、エレクトロニカ的な傾向、とか盛りだくさんのお腹一杯の大充実作である。そう、1+1+1+1+・・・、と繰り広げていったような足し算の作品なのであるが、それがとっ散らかったり、グダグダになったりしていないのは、全体を漂うどこか儚い感じが全てをまとめているからであろう。加えてChrisのヴォーカルがHoodでと同じでたゆたう感じの、しかし印象的なメロディをさりげなく口ずさんでいるような感じなので、ふっとひきつけられるのである。いつの間にかHoodも人気バンドになっていたわけであるから、当然ながらこのソロ作品にも注目が集まるだろうが、それにばっちり値する充実作、と言えるであろう。聴くたびに新しい発見がある、という嬉しい1枚。