おしゃべり婦人

昨日はなにやらはてなさんがメンテ中だったので書けなかったのである。昨日のイヴェントにいらした皆様、お疲れ様でした。関美彦氏のライヴが大層良かったなあ。ご本人とお話しして結局WeekendとMomusとBen Wattの話になったのはご愛嬌か。

さて。先日とあるレコード屋に行ったのである。そうしたら長い付き合いの店員さんから面白い中古盤が入った、と言われて店頭に出す前の段ボール箱を見せてもらったわけである。

なるほど、面白い。10年くらい前のギターポップ系アルバムとか7年くらい前の音響もの、アブストラクトヒップホップもの、ニューウェーヴ少々、何故かConrad Schnitzler、と何と言うか雑多な、というか幅広い、というか良い感じの、というか他人と思えない、というかコレは多分私が某中古屋に売り払ったものをお買い上げになったのか、というかそういうレコードばかりであった。多分、私がまだレコード屋で店員とかをやっていたときにせっせとコメントを書いていたものをせっせとお買い上げになったんだろうなあ、この人は、というように何か親近感が湧いたりしたのであった。

しかし、何故このように大量に入荷したのか、と問うてみたところ、持ち主の方がお亡くなりになったかららしい。まだ20代だったらしく、お父様が店に連絡してきて、出張買取してきたとのこと。

一挙にどぅーんと落ち込んでしまった。それはもしかしたら何度かニアミス、もしくは実際に会ったこともあるかも知れない、それらのレコードの持ち主(だった方)に思いを馳せたというのもあるのだが、思いっきり我が身のことを省みてしまったからであった。私だって急にこの世からいなくなってしまうかも知れない。個人的には別にとくに未練はないのであるが、問題は残された物、者のことである。とくに物のせいで者を苦しめたりしてしまうのではないか。否、確実にそうだ。幸いにして(というのもアレなのであるが)上記の方の場合はお父様が手配してくれたお陰でなんとかなったと思うのだが、さて私はどうしたら良いのだろうか。やはり引き取り手の連絡先をしっかりとまだ生あるうちに書き留めて遺しておくべきなのかも知れないなあ、とちょっと俯きながら思ったりしたのであった。

ざっと部屋を見渡してみても、これは大変だよなあ、と思うし逆に私が死んだら新たに中古盤屋が出来るかもしれない、と思うと何か新しいビジネスチャンスなのか、と思うと複雑な心境である。まあ、懲りずに今日も在庫補充してしまったりしてるわけであるが。

とお気楽な感じでまとめてはみたが、本当にちょっと考えさせられたのであった。湯川潮音の「雪のワルツ」を聴く。ミニアルバム冬編、だそうである。寡聞にして今まで聴いていなかったのだが、この作品には本当に心揺さぶられる。湯川トーベン氏の娘さん、というくらいの認識しかなかった私は穴があったら入りたい気持ちで一杯である。カヴァーやオリジナルで冬の情景を描いている全6曲であるが、どの曲もアプローチが違っていて少ない曲数ながら充実している。そして何よりも彼女のヴォーカルである。透明感ある、というと非常にありふれた感じに思えるかもしれないが、まさにその言葉通りの声でまっすぐに歌っている感じがとても良い。心洗われる、というのもとんでもなくありふれた感じに聞こえてしまうかもしれないが、そういう気がしてくる。しかも各曲ともアレンジはシンプルながらも非常に奥行きを感じさせる楽曲ばかりで、そして曲毎に必ず悶死させられそうなメロディラインがあるからすっかり降参してしまった。今年に入ってから出会った音楽の中では、今のところやられた感が最も強い作品である。