Let Jah Love Come

例えばマクドナルドにちょっと疲れて荒んだ気持ちで入ったりすると、子供たちがどぎゃーと暴れていて、こいつら殲滅してやる、という醜悪な気持ちになったことがある人は沢山、というか数え切れないほどいるはずだ、と断言するのもどうかと思うが、私はそう確信している。

今日も今日とて、俺の昼飯の時間奪う奴等に死を、とかそういう荒涼とした気分で午後3時にマクドナルドに行けば子供たちがぎゃーぎゃー暴れていて、おまけにレジに並んでいる私を叩くわ、ぶつかってくるわ、でマジでこいつら殲滅、と一気にヴォルテージが上がったものだ。

でも静かな喫煙室で煙草を吸いながらコーヒーを飲んでいると、ふと重大なことに気づく。あの子供たちの親共は何をしているのだ、と。記憶を辿ってみれば何もしていないではないか。親共のトークに花を咲かせていて、自分らの子供が私を陵辱しているその姿も見ていないではないか。

そうか、子供たちが悪いのではなくて、親が悪いのだ、という結論に達してもおかしくはない。最近は頑張って母親、父親している友人に会って、じーんと来たばかりなので、余計「親になる」「親である」ということに過敏なのかも知れない。少なくとも私の友人にはマクドナルドのガキ共の親、みたいにはなってほしくないなあ、と心から思うのであった。

でもそういうマックの親みたいな連中に限って子育て頑張ってたりするんだろうなあ、その息抜きでわいわいマックでやってるんだろうなあ、とか心優しい私は思ったりもするのだが、結論としてはどいつもこいつも殲滅、となってしまうのだから私の闇も深いというか何と言うか。

疲れてるみたいなのでRhythm And Soundの「See Mi Yah」を聴く。様々なレゲーシンガーを迎えてのシングルシリーズのコンピ、第2弾である。今回もSugar MinottやPaul St. Hilaire(昔Tikimanって名前だったよなあ)やKoki、Jah Cotton等をシンガーに迎えている、とか書いているが私にはあまり馴染みのない名前ばかりである。Rhythm And Sound、というかベーチャンと言えば昔から恐ろしい程に淡々とした、深ーい音像のバックビート入ったトラック作りで幅を利かせていたわけであるが、その技は今作でも冴え渡っている。全曲ほぼ同じバックトラック、というか全曲つながっているのであるが、それでも飽きないのは素晴らしいシンガー達が次から次へと登場してくる、というだけでなく、強烈なまでに淡々としていて且つ深ーい、冷たい音像が実に心地よい(!)からであろうと思う。流石は元Palais Schaumburg、とかいう結論づけはもうそろそろ止めるべきなのかも知れないが、どうしても私の中ではそこに落としどころがあったりするのである。実際問題、Rhythm And Soundにかかるとほぼ全曲同じ状態になってしまう(と少なくとも門外漢である私としては思う)のだが、それでも全くもってドキドキさせられ、次のリリースが楽しみになるのは、多分この淡々とした具合には中毒性があり、それが知らず知らずの内に私を侵しているからなのに違いない。ちなみにこのアルバムまるごとリミックス作品があり、そちらもFrancois K.だのUladislav DelayだのVillalobosだのとんでもない面子が好き勝手いじりまくっていて格好良いのであった。私は勢いあまって12インチ3枚でドカンと買ってしまったが普通にCDでまとめて出ていたのだね・・・。See Mi Yah Remixes