Powderfinger

Harlem Shuffle Vol.2 2006.12.1.(Fri)@Club SHAFT (Sendai) 21:00〜 \2,000 ( 1 Drink )

●Guest DJ●
鳥井本英樹(SINDBAD)

DJs:tmym, tdsgk, Kenji Maesawa

club shaft::  http://www.clubshaft.com/
HIGHCONTRAST::  http://www.vividsound.co.jp/highcontrast/

よろしくです!

何やらMNPで大騒ぎの携帯電話業界であるが、ふと私の携帯電話歴を思い出したりした。

最初に持ったのはもう10年くらい前の話である。家庭内でのっぴきならぬ事態が起こり、いつ連絡が入るかわからぬ、という事態だったので持たせられたのであった。当時としては一番小さく軽い、まるでトランシーバーのような大きさの、そして今の携帯電話5個ぶんくらいの重さのある代物であった。液晶画面の大きさは今の携帯電話の3分の1くらいだったであろうか。

その後、その携帯電話が2年くらい経って壊れ、携帯電話で初めてメールができる、という触れ込みのツーカーのものにしたのであった。そうだ。そういえばそうだ。今更MNPだなんてちゃんちゃらおかしいくらい私はツーカーJ-Phoneボーダフォン〜そしてソフトバンク、とつごう4社を同番持ち運びしているのである。買収の波に揉まれた我が携帯電話の歴史である。

しかし一番最初のドコモの携帯、そして最初のツーカーの携帯から考えると、わずか10年程度で携帯電話は物凄く進化したものだなあ、と改めて考えさせられる。鉄腕アトムの世界にはまだまだ世の中至らないけれども、この携帯電話にだけ焦点を絞って見てみると、かなりの猛烈な勢いでの進化が伺える。携帯でのメールは最早日常茶飯事だし、カメラだテレビだ動画だ何だ、と大変なことになっているわけであるし。

とそんなに大変に進化を遂げた携帯電話であるが、私はほとんど携帯電話のカメラを使ったことがない。せいぜい買って最初に待ち受け画面を設定するためにDavid Bowieの「Low」のジャケを撮影する、とかmixiのトップページの画像を設定するために部屋の中でぬいぐるみとLa Dusseldorfの「Viva!」を一緒に撮影する、とかそういうことごとくどうしようもないことのためにしか使っていない。いっそのことあれか、私の場合、高齢の方々向けのシンプルな、ほとんど「話す」「メールする」という機能程度しかない携帯電話の方がそのパフォーマンスを充分に使いきれるのかも知れない、と思い始めた今日この頃である。

Neil Young And Crazy Horseの「Rust Never Sleeps」を聴く。私の誕生日とはつまり、我が家にBob DylanNeil Young等のCDが増える、ということと同義なのかも知れない。ということでid:maco13th氏から「王道」だったか「定番」という発言と共に手渡されたプレゼントである。初めて聴きました。79年のライヴとスタジオ録音による、若干変則的なアルバムであるが、あまりライヴだから、とかスタジオだから、という差はないように思われる。アクースティックギター弾き語りが4曲と、Crazy Horseとのラウドなエレクトリックバンドセットが5曲(ご指摘により訂正。アクースティック5曲、Crazy Horse4曲、でした)、という構成である。アクースティックナンバーでは、しみじみと良い曲だなーと感じるナンバーばかりで、結構リラックスして聴けるか、と思いきやそうでもなくどこかテンションが張り詰めているような印象である。凄く優しげな手触りではあるのに、非常に固い音がする。Fred Neilの「Everybody's Talkin'」に似てるのう、と思わず感じるナンバーもあり。そしてエレクトリックセットであるが、こちらは轟音とか爆音、というよりも音が厚い。ヴォリュームがある、と言えば良いのか。ギターソロになると、まるでギターの弦の太さが普通の2倍くらいあるんじゃないのか、と思わざるを得ないような、そういう感じである。いずれにせよ、どちらの演奏とも絶妙なマッチングを見せるYoungさんのヴォーカルに結構感動させられたのは意外であった。ということで2面性を凄く楽しめる良いアルバムなのであるが、このアルバムの場合、今言及されるとしたら「Hey Hey, My My」と「My My, Hey Hey」の歌詞についてが多いのだろうか。Kurt Cobain氏が遺書で引用したらしい「消えて行くよりは燃え尽きた方が良い」というフレーズもあるし。「ロックンロールは死なない」とか「John Lydonがどうこう」、とかそういうネタになりそうな詞ではある。しかし「Rockn' Roll Can Never Die」なのだ、英詞に於いては。つまり、「死なない」というよりは「決して死ねない」というか「決して死ぬはずはない」というか、そういう解釈ができる詞なのである。「呑気に『ロックは死んだ』とか言ってんじゃねーよ、死にたくても死ねないんだよ」、みたいな、もしくは「死ぬわけねーだろ馬鹿野郎」、みたいな、もしくは「『ロックは死んだ』のだろうか、そ、そんなはずは・・・?」みたいな、色々な解釈ができるのかも知れないなあ、と勝手に思ったのであるが。いずれにせよ「死なない」という表現よりはもっと深い表現になっているのである。まあ「ロックは根を下ろした」とか歌ってもいるので、前向きであることは確かではあるが、もしかしたら何か、単に「死なない」ということよりは、もっと悲壮な覚悟があるのではないだろうか、って超今更な話ですかね。久々に頭を使ったので疲れました。しかし、このアルバム何故今まで聴いてなかったんだろう、というくらいにグッと胸に来た次第である。