Vapour

Harlem Shuffle Vol.2 2006.12.1.(Fri)@Club SHAFT (Sendai) 21:00〜 \2,000 ( 1 Drink )

●Guest DJ●
鳥井本英樹(SINDBAD)

DJs:tmym, tdsgk, Kenji Maesawa

club shaft::  http://www.clubshaft.com/
HIGHCONTRAST::  http://www.vividsound.co.jp/highcontrast/

よろしくお願いいたします↑

日本の首相に対して日頃不満を持ったり、たまに周りの人間に対して不満を持ったりする私である。何て自分は不満の多い人間なのだろう、とか思うことがあったのであるが。

それはつまり「私以外の人間は私ではないから」だということがわかったのだった。

そんなこと書いてみると「なんだ当たり前じゃないか」ということなのではあるが。まあ、つまり色々なことに不満を持ったりすること、というのは至極当然のことなのであって、それは仕方がないことなのであるなあ、ということになるわけである。不満だらけの現状をぶち破ろうぜ!とか言ったりしているのは色々なところで目にし、耳にすることではあるが、それは当然ながら「他人は自分ではない」というどうしようもない事実の壁の前で、空虚な叫び声にしかならないものなのである。

ということは批判とか糾弾とか、色々世の中にはあるわけであるが、そこで大事なのは「自分ではない他人(がやったこと)に対して思うこと」を単に表明するだけでは全く意味がない、ということに気づくことなのではないだろうか。さてその上で「他人ではなく自分ならどうするか」ということを模索することが大事なのではないだろうか。批判をしているだけではレヴェルはゼロ、つまり前にも後にも進んでいないわけであり、そこで上記のような考察をしたところでレヴェル0.2くらいまでは進めるのではないだろうか。

とグダグダ述べてはみたのだが、こうは考えてみたところで結局私も色々不満に思うことについてブーブー今後も言うことがあるだろう、とは思う。しかしそれは、何で人間の指の爪は伸びるのだ、と不満を言うようなものであるけれども、しょうがないことなのである。それはレヴェルゼロの確認なわけである。と何か変にネガティヴなんだかポジティヴなんだか訳分からん話になってきてしまった。

とは言えもし世の中「他人」が皆「自分」になってしまっても、結局色々不満が出てくることになりそうである。自分の中で自分が不満に感じている部分を客観的に見ることになるわけだから。生きるって難しいのう、と今更痛感させられる。もうすぐ32歳なのに何をナイーヴなことをグダグダ言っているのか、と呆れるものであるが。

何か強烈なのを聴こう、とLoopの「A Gilded Eternity」を聴く。90年リリースの4枚目のアルバム(コンピ含む)である。結果的にこれがラストアルバムである。確かに強烈なアルバムである。よくSpacemen 3と比較されていたものであるが、彼らはアルバム毎にどんどん「強度」から「深度」へとシフトしていったわけであるが、こちらは最初から最後まで徹頭徹尾「強度」のみで押し切ったバンドであった。その辺りはこのアルバムでもしっかりと聴けるはずである。延々シンプルでへヴィなリフを奏でるギターに、ミニマルなリズム隊。そして何だか後のシューゲイザーバンドのような聴き取り辛いヴォーカル、というバンドの個性は損なわれることなくこのアルバムでは最後の大爆発を見せている。しかしそれは「強度」しか芸がないバンドの音ではなく数ある選択肢の中から「強度」に拘って鳴らし続けた、ある意味「悟り」のような音楽なのである。ここでのリフの鳴りやら各楽器の執拗なまでのミニマルな具合は、練りに練られた末の強度であり、シンプルさなのである。ずーっと聴いていると何か違う音が聴こえてきたように思える瞬間がたまにあり、「強度」のみならではの「深度」というものを考えさせられるわけである。この後にリーダーのRobert Hampsonは極北音響ユニットMainとして作品をリリースするわけで、そこに至る流れもここまでを考えるとなるほどなあ、と今更ながら思わせられるわけである。いやー色々何だかんだ書いたが、いまだに色褪せずにかっこよすぎる音楽である。