The Self Sufficient Sexual Shoe

やはりあれなのか、今の世の中「私はこんなことをしましたよ凄いでしょー!」とか「自分こんなことができました、凄いですよねー」ということを声高にアッピールしないと誰にも気づいてもらえないものなのだろうか。

つまりいくらひっそりと善行を重ねていても、それは結局誰にも気づかれることなく、上記のようにアッピールする人の陰に隠れてしまい、どんなにひっそりと善行を重ねていても「何もしていない人」という風に見なされてしまう世の中なのだろうか。

わかりやすいものはよく目に入るし、うるさい音はすぐに耳に入ってくる。どうもそういうものだけであっさり物事済ませてしまうような感じが今の世の中蔓延っているのだろうか。つまりは、想像力の欠如、というか観察眼の衰え、というか、人間のそういう能力の低下、というものは意外に著しいものなのかもなあ、と思ったりしたのだった。

別に自分がやっていることを認めてもらいたいんだ俺は!!ということだったらそれはそれでギラギラしていて面白いのだけれども、残念ながらそうではなくて身近なところで、そうかそういうことなのか、と思うところがあったので上記のようなことを考えた次第である。まあ、でも考えてみれば昔からそうなのかも知れない。けれども、そういうことを美徳として考える時代は終わって「勝ち組負け組」だのいう概念が蔓延る世の中では、加速度がついてそういう傾向が強まっているのかも知れない。残念だなあ、とか言って自分だけ違うフリをするのも見苦しいものであるが、できるだけ流されまくらないように心がけていきたいものだなあ、と強く思ったりしたのだった。

Nurse With Woundの「Rock'n Roll Station」を聴く。96年作の再発である。これがまた痺れるほどに素晴らしく格好良すぎるのだから困りものだ!!こういう所謂「ノイズ」と捉えられる音楽を80年代初頭からやっている方々だと、段々つまんない音になってしまって、若しくはポップになってしまって、とかいうオチが付き物だと思うのだが、Steven Stapleton大先生は違った。もうこの作品は最早アブストラクトヒップホップ状態になってしまっている。つまりは淡々と打ち込みビートが流れ、諸行無常の音像が延々繰り広げられるのだ、それがまるでDJ Vadimのようなストイックさに聴こえてくるから不思議だ。Ninja Tune辺りからリリースされていたら、もしかしたらMo' Wax辺りからリリースされていたら当時一躍大変なことになっていたのではないだろうか。10年前の作品であるが、当然ながら今聴いてもサウンド処理やら、強めのビート(!)の音色など斬新過ぎて新鮮すぎる。ヴォーカルも(っていうか効果音のようだが)入ってるし、ソリッドなギターも入ってるし、かなり(比較的)きらびやかな作品でこれはとっつきやすいのではないかと。まあ、タイトル曲はJacques Berrocalのカヴァーだったりするのだが。ちょっと衝撃。