Midsummer Blues

どうせ人間最後は骸骨になるんだから、というのは曾祖母の口癖であった。

まあ、そういう言葉は曾祖母のような人が言うのだから重みがあるのだし、それを逃げ口上のように若い世代が使ってはいけないのである。

私は日頃から上記のような言葉を毎日考えながら暮らしているような人間ではあるが、決してネガティヴな意味でもやる気のない意味でも逃げ口上的にも捉えてはいけないのだなあ、と噛み締めながら暮らしているものである。せめて骨に肉がくっついている間は、それを全うしないとなあ、と何故か前向きな気分になれるのだ。

とか書いていると、学校での作文みたいで本当に下らないのだが、そうでも思わないとやってられないものである、人生というものは。時間が限られているのだから、下らん、気の乗らんことはぱっぱと済ませていかないと時間切れになってしまいそうである。

と唐突に書いているのは、何か最近どたばたどたばたしていて気ぜわしくて、スピリチュアルカウンセラーなんて奴が近づいてきたらふらりと帰依しそうなくらいに弱っていたからちょいと、なんだべな、と思って色々内省したからなのである。まあ、もうすぐ歳を取るわけでもあるし、何か清冽な気持ちで生きたいものである。

と気持ちが悪いぐらい過剰に前向きにならないと、その勢いは使い果たされてしまいそうだからのう。ということで勢いづいて高橋悠治の「ディスタント・ヴォイセス」を聴く。これは2作品をカップリングしたもので、1つは小杉武久とSteve Lacyが参加、もう1つは高橋悠治佐藤允彦のデュオ、という感じである。即興音楽なわけである。前者の方では打ち合わせを兼ねた食事会、で結局打ち合わせはなされないままに録音されたらしく、また各人が日頃なじみのない楽器、日用品を優先的に用いているらしく、大丈夫なのか・・・、と思いきや、まあ、当然のことながらビシバシに緊張感漂うインタープレイで燃えさせられる。というかたまに怖いくらいのテンションでゾクゾクする。小杉氏のヴォイスがまた実に怖い。何か地域の、見てはいけない儀式を見てしまったかのような・・・。ヴァイオリンも時に狂おしいし。しかし面白いのはSteve Lacy氏は、富樫雅彦氏とやったときもだが、途端に何か東洋的なフレーズを挟みこんだりしてきてハッとさせられる。打ち合わせがなくともこうなる、というのはLacy氏の空気を感じ取る力の賜物なのだろうか。不思議だ。そして、もう一方の作品は、ピアノ2台のデュオ曲とシンセ2台によるデュオ曲が収められているが、圧巻なのはシンセ曲である。編集時に更に2人で電子処理とレヴェル処理を即興的に行ったらしく、最早何が何だかわからん勢いで電子音が渦巻く展開になっている。凄まじい、の一言である。2人で多分演奏時のベクトルは違っているのであろうが、それが合致する瞬間が感じられ、そこがまたどえらい反応を起こしているのであろう。初回限定生産、とか言わずに永遠に出しておいて欲しい作品である。