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"AOBA NU NOISE"
07/25(tue) @SHAFT
19:00〜25:00 1000yen(1d)BAND act
●-W-(Waikiki Champions)
(http://waikiki-champions.hp.infoseek.co.jp/w.shtml)
●HIDARITE
●AVADJ's
●E-TALKING CREWs
"KAAAANJI , TASHI-ROCK , MAIKOR"
●EVOL(LOVE RECORDS)
DADA DANCE 2006.8.4.(Fri.)@ADD
2000YEN/2DrinkDJ:AKILLAVENUE
DOUBLE DEATH AND CLEANING CITY
SUK"URU
TEPPEI OMORILOUNGE:TDSGK.DOON(DEJAVU)
昨日は日中は出かけており、そして夜はJ・G・バラードの『ハイ・ライズ』を2回目だというのにあっつくなって一気に読んでしまったがためにお休みさせていただいておりました。
さて、「自分らしく生きる」とか「自分探し」とか世の中自分自分うるさいわけである。皆「自分を見失い」ながら生きている、というのがここんとこの共通理解事項として定着した感が強いのだが、果たしてそれでは「自分」ってものを皆一度は認識して、それをまた探している、ということなのだろうか。
となると世の人々は私なぞよりも格段、上を行っている、ということが明らかになるわけである。私には「自分」というものがわからない。もしかしたら寝る前に色々考えているのが自分なのか、それともこのNag3を書いているのが自分なのか、それともぼんやり1人で考え事をしているのが自分なのか、仕事をしているのが自分なのか。
「自分らしい」というのは「自分が好きなことをしている時、嫌なことをしていない時」と定義されるものなのかもしれない。自分、ってのが分からない私ではあるが好きなものと嫌いなもの、というものくらいは分かっているつもりである。ということはあまり好きではない、もしくは嫌いなものごとをやらされているときは「自分らしくなく」、またそういうことばっかりに時間をとられているときは「自分を見失っているとき」、ということになるだろう。
ってことは大体のときには私は自分ではない、もしくは自分らしくない、もしくは自分を見失っている、ということになってしまうのだが、それってもしかしてみんなそうなのだろうか。みんな自分探しの旅に出かける、というのも分からなくないものだなあ、と1人納得した次第である。やっと私も世の人々のレヴェルまで達することができたのかも知れない。
私?私は旅が苦手なので別に自分探しの旅に出る気力もないもので、見失い続けたまま生きていくしかないのであろう。Dubblestandartの「Are You Experienced」を聴く。オーストリアのダブユニットのアルバムで、1枚目はオリジナル、2枚目はリミックスを収録した、更にヴィデオまで入っている超お腹一杯の作品である。私は今様のレゲーとかダブ、とかそういうものにはあまり興味はないのであるが、このアルバムはThe SlitsのAri Up嬢やらMalaria!のGudrun Gut嬢までもが参加しているがために手を出さぬわけには行かないのである!!と思い、上記お二方の歌声目当てで聴き始めたのであるが、なかなかどうして、どの曲もしっかりとしたメロディが非常に取っ付き易く、様々なヴォーカリストも凄くマッチしていて非常に聴きやすい、そして涼しげなレゲー〜ダブアルバムになっていて引き込まれる。決して明るくはないのであるが。そう、何よりもレゲーのビートはしっかりと効いているのだが、それに囚われない曲のメロディが乗っかっていて(注:私あまりレゲー関係詳しくないので、超初心者がそう感じた、ということである)、そこら辺がナイスだなあ、と思うわけである。上記お二方、つまりニューウェーヴ歌姫の歌声も実に涼やかで、うん、これからの季節に良いね、と思ったりもしたが決して明るくはないし、まず第一になんかまだ夏が来ていないような感じの寒さの昨今ではある。しかしそんな半端な時期にもばっちりフィットの傑作。ダブ盤、というかリミックス盤の2枚目の方もDreadzoneやらSly & RobbieやらMad Professorやらkeith Le Blancやら強烈な面子がビシビシ、ピキューンだのスコーンだのトバしていて、かなり激烈で本当にお腹一杯である。井出靖氏もレコメンなさっておりました。