Freddy And Me


今日は母の日、ということもあってか何か花を持って歩いている人が多かった。

天気もなかなか良かった日曜日だし、街は花で溢れ、と何か不思議な感覚に囚われたりもした。サンフランシスコか、と。否、詳しくは全く知らないし、なんとなくイメージで言っているだけのだが。

しかし花は良い。私が車でよく通る道沿いにも菜の花がずーっと河原沿いに咲いていて、疲れて帰宅する途中に、わずかながらも心を潤わせてくれるものだ。以前は花になぞ全く興味なく、あー花ね、咲いてるねー、程度のものだったにもかかわらず、である。まあ、いまだに花の名前は全然知らなくてよく呆れられたり驚かれたりするのだけれども。やはり人間年と共に変化していくものなのだな、としみじみ思ったりする。

ただ自分でどこかに花を買って行ったり、家に花を買って帰ったり、ということはちょっとまだ照れくさくて出来ないものである。花屋さんの前を通るたびに綺麗だな、これ家にあったら良いな、とか思ったりする花もあるのだが。まだ人間の器的にそういうことが出来る分際ではない、というか、ちょっとそこに達するまでには何らかのイニシエーションを経験しなければならない、というか、まあ要するにちょいとシャイなんだな自分、というとんでもない結論を書いたら殴られるだろうか。石の礫を受けるだろうか。

いずれ私も花を買って行ったり買って帰ったりできるビッグな奴になりたいものじゃのう、と思いながらLittle Annieの「Songs From The Coal Mine Canary」を聴く。彼女ってさ、確かCRASS関連で、Adrian Sherwoodプロデュースのアルバム出したり、On-Uから出してたよなあ、と思いつつぼんやり聴いていたらAntonyさんがプロデュースだのピアノだのヴォーカルで参加、というとんでもない作品なのでたまげた。レーベルもNurse With WoundとかCurrent 93とかSimon Finnと同じレーベルだし、何か凄いことになっているのだな。音楽的にもAntony And The Johnsonsっぽい、とまとまれば美しいのだけれども、一概にそうとも言えないのだ。彼女のちょいとしゃがれた声がバッチリとはまる、シンプルな感じで美しいメロディのキャバレーチックな曲が多く、とても引き込まれてしまう。Antonyがスウィート系とすればこちらはビター系ではあるが、退廃音楽だなー、良い意味で。Marianne Faithfulの87年以降の作品にも近い、枯れた感じがあって個人的には嬉しい大発見であった。やはり面白い活動をして面白い作品を出す人、というのは必ず私たちが気づかないだけでしっかりといるのだなあ、と当然のことを再認識した次第である。