Deus Ibi Est

ゴダールの「アワー・ミュージック」を見てきたのである。

あんまり彼の映画を見ていないので大きな口なぞ叩ける筈がないのであるが、ある時期以降のゴダールを「見る」、つまり「理解する」にはその映画を見るにあたってかなりの量の情報、知識のバックグラウンドがないとなかなか難しいのう、と感じていたのである。今作は、えー、やはりかなり勉強不足だなあ自分、と反省したのであった。

紹介チラシなどから今回は比較的ストーリーがしっかりしているのかな、とか思っていたのだが、思えばこの間見てちいともよくわからんかった「愛の世紀」もこれくらいのストーリーはあったわなあ、と思ったのであった。

でもそれはゴダールが悪いわけではなく、バックグラウンドとかをよく理解していればまた違った心への迫り方をするであろう作品であった。現にこんなに不勉強極まりない私にとってですら、グッとくる台詞、画像、は沢山あったわけで、そういった断片断片の印象をつなぎ合わせて私の中で映画を反芻するに、とても良い映画だったのではないか、と思う。面白い、とか感動した、とかそういう言葉では私には何とも語れないのだけれども、「良い映画」という感じであった。

それにしてもゴダールの前作を見たときもそう思ったのだけれども、紛争、民族問題、そういった問題は私たち日本人には想像もつかないほど西欧には影を落としているのだなあ、と感じさせられる。と書くこと自体意識が低いとも言えるのだけれども、改めて感じさせられたのだった。

またこの映画を見ている間に突如「人間は生きているときも死んだ後も含めて結局は何かしらの1つの存在であって、実は生きている時間、というのはその存在の中のほんの短い何年間に過ぎないのではないか。そしてそのプロセスは繰り返されて、何かしらの存在として生まれ、死に、また生まれてを何度も何度もやっているのではないか」とかいう考えが突如頭に浮かんで来たりしたのだった。輪廻・・・?何なのや。

しかし毎度レイトショーを見に来るたびに何かしら映画館で素敵なロマンスみたいなものってないもんかしらねえ、と儚く妄想している私であるのだが、今日の「アワー・ミュージック」の時には結構可憐な感じの異性がいたりしてなかなか良いわね、と妄想も膨らんでいったのだった。しかし、終わって明るくなってみるとその異性は涎垂らして寝ていて、まあ、現実はそういうものだ、と気づかされた次第である。それにしても今日は映画が終わってから明るくなって寝ている人々の数が多かった。確かに仕事して晩飯食べてこの映画、だったらそうかも知れぬなあ、と思う。私?私は・・・、頑張りました。

Isobel Campbell And Mark Laneganの「Ballad Of The Broken Seas」を聴く。元Belle And Sebastian, Gentle WavesのIsobel嬢と元Screaming TreesのMark氏の共演アルバムである。しかし一体どこでどういうつながりがあったのか・・・。そしてレコ屋のキャプションではMark氏は「Queens Of The Stone Ageの・・・」という紹介のされ方をしており、まあ、そうかなあ、今の時代では、と思ったりした。音の方は、渋い。渋すぎる。カヴァー曲がHank Williams、とかそういう世界である。フォーク〜ブルーズ〜カントリーのりで統一されており、そこに可憐なIsobel嬢のヴォーカルとドスの効いたMark氏のヴォーカルが乗る、という構成であり、どちらかと言えばMark色が濃い。ジャケの感じからして何らかのストーリー性があってもおかしくないような、そんなロマンティックな印象を受け、ガツンと元気が出るぜ、という感じの音楽ではないにしても聴いていると落ち着く。ストリングスのフィーチャーの仕方も絶妙でかなり(超個人的に)盛り上がってしまうのである。名作。でも何か聴いたことあるよなあ、こういう音楽、とか思っていたらLee HazlewoodとNancy Sinatraのアルバムだった、ということに思い至った。絶対下敷きにしていると思う。間違いない。そうか、だから好きなんだな自分・・・。