愛の名前

最近素朴に、考えることがある。前にも確か稲妻のように私の心を打ち抜いた瞬間があったが、同じ稲妻にまたもや打ち抜かれたのでここに記そうと思う。

私が尊敬する職業、それはパティシエ、である。

私は日ごろ、てめーぶっ殺す、だの次の誕生日はこねぇぞおら、だの地獄に落ちろー、だのど外道がー、とかそういうことを口には出さないが、1日の内でかなり頻繁に思う人間である。

そんな風に荒涼とした気分は大体雲散霧消していくのだが、なかにはしぶとく残るものもある。

この間もそんな1日を過ごして、夜になっても耳から指入れて奥歯ガタガタいわせるぞゴルァ、な気分だったのだが、頂き物のチョコレート(GODIVAでございました)を口にした瞬間に、嗚呼幸福・・・、となってしまったのであった。

まあ、人によってはそれがビールだったり焼酎だったりコカインだったり納豆だったりヘロインだったり、と個人差は大いにあると思うのだが、私の場合はぶっちぎりで美味しいお菓子、なのであった。故に、人をそんな気分にさせるお菓子を作る人、というのは絶対に尊敬に値する職業だなあ、と思う。ほんの一瞬だけでも、全て吹っ飛ばしてくれるものって滅多にないものだと思うのだがいかがであろうか。

と小学生の感想文のようなものを書いたところで鈴木祥子の「鈴木祥子」を聴く。そうか、5年ぶりか。シングルのリリースは2回ほどあったがかなりのブランクがあったのだなあ、と今更思ったのだった。彼女のアルバムを聴く、ということは「彼女がどこへ向かおうとしているのかを自分で探している」過程を聴くことなのである、とここで断言してしまっても良いだろうか。アルバム1枚ごとに結構傾向が異なることを考えてみると意外にそういうことなのかな、と。しかしどの作品にも一貫しているのは彼女の声とメロディ、これに尽きる。これを聴くためにアルバムを聴くのである。よって今作でもその点では大満足である。彼女の発声が私は大好きなので、それは十分に堪能できるし、相変わらずの巧みなメロディにも感動させられっぱなしである。で、今回はピアノが大メイン、となっていて全ての骨組みはピアノである、と考えることもできる。問題はそこに絡んでくるパーツなのであるが、Carnationとやっている曲群や、素直なアレンジの曲は過去最大級の名曲名演である。ただ現在のジャズ畑の(と一応考えた方が無難だと思われる)方々と組んだ曲ではどうもお互いの長所を潰しあっているような気がして、勿体無いように思える。そう、全編素直なポップ/ロック路線で十分なのではないか、と保守的な私なぞは思うのであった。でもまあ、そういう過程を聴くためにアルバムを聴くのであるから、これはこれで今後どうなっていくのかを楽しみにしていたい。それにしても、歌詞である。最初聴く前に歌詞だけ読んでいたら、これがメロディに乗るところを想像もできないくらいだったのでどうなることか、Zazen Boysみたいなことになっとるのか、と心配したが、そこは流石、完璧であった。そしてここ最近では久々にこんなに「愛」という言葉を聴いた気がする。「愛」についてまだまだ勉強が足りない私としてはこれを機会に考えてみたいところであるが、祥子女史の歌う「愛」は辛いのう・・・。そして今日は書きすぎなのだが、最後に1つ。Patti Smithの「Frederick」のカヴァーは素直にPatti女史のように歌っているところに、大いに好感を持った次第である。