Iceblink Luck

日頃雑誌を読んだりしていると、またはテレビを見たりしていると、車の広告、宣伝によく出くわす。出くわさない日はない、と言っても過言ではないだろう。

よくもまあこんなに車の種類があるものだ、と幼少期からの根っからの自動車好きの自分を韜晦して言ってみたりするのだが、中でも最近気になるのは所謂「若者向け」の「多用途な」車の宣伝である。

まあ、スポーツとかレジャーとか、という目的は良いとして、結構停車時に於ける室内の多用途性についての言及が多い。シートが沈んで、なに「まったり」モードだ、とかリアシートがリクライニングしてやれ「VIP」モードだ、と。

今や走りは当然のこととして車を停めた際の「居住」空間に関して重きが置かれてもいるらしい。そうか。最早は車、としての機能+部屋、的なものも求められる時代になったのか。

それはまあ当然かも知れぬ。携帯電話を買えばラジオがテレビがカメラが、という時代である。ひところの「マルチ」ブームは終わったようだけれども、まだまだそういう文化は続くわけである。車にラジオやらエアコンやら何やらがついているのは当然としても、停めた際の機能の充実、というのはまあ、ある意味「電子レンジにカメラが!」とかそういうの(勿論仮定、の話であるが)よりはぐっと理に適った、現実的なものだと思う。

しかし、あれか。今の若者をターゲットにしている車で停めた際の機能が充実、ということは若い方々は車を停めて何かをする、ということが多い、というか日常的になっている、ということなのだろうか。

ここで「車を停めてナニをする」という風になるとちょっと話は、まあ嫌いじゃないのだが、よろしくない方向に行きそうなのでアレだ。しかし車を停めて何かする、って私はどうだろうか。何か食べたり、読んだり、程度だなあ。しかもCDの解説だったり歌詞だったりくらいしか読まないな。そうか、間接的にもう若者じゃないんだよ、と言われてしまったような感じだ。というか、そもそも「若者向けの」とかという話題を振っている時点でそれに気づかねばならないのだが。

Cocteau Twinsの「Heaven Or Las Vegas」を聴く。つい最近も聴いたように思うが、昨夜風呂に入っている間中このアルバムの曲の部分部分が頭の中で鳴り響いてしまったので、今朝は止むに止まれぬ衝動でもって車の中で聴いた。90年の4ADからのリリースとしては最終作である。脱線するが、彼らが4ADを離れる際の理由が「IVO(レーベルオーナー)は金儲けに走り過ぎだ」とかいうものだったが、思えばM/A/R/R/Sの大ヒットの後に離脱したA.R. Kaneも「金儲けが云々」という理由だったことを考えると、そういう向きもアリなのかな、と寂しくなったりもする、大好きなレーベルだけに。まあ、それは置いておいてこのアルバムは当時ポップになった、とか聴きやすい、とかそういう評価をされたアルバムなのだけれどもまあ、確かに。それまでが聴き辛いとか重い、とかそういうことを感じたことは私は一度もないが、このアルバムに見られる伸びやかで抜けの良いメロディであるとかアレンジは見られなかったものである。何かこう、異常な爽快感が得られるのである、このアルバムからは。Elizabeth嬢のヴォーカルも高音のみではなくふくよかな低音が聴けて味わいがあるし。メジャーに行ってからは、ちょっとダレる、というか落ち着きすぎでは、という感じがあってちょっと苦手になってしまったが、そのギリギリの点がこのアルバムでは一番の魅力なのではないだろうか。語りすぎた。