Tissus Dans Le Vent

「わかった」ということは実は嘘っぱちだ、という江戸アケミの発言は実に本当のことだったのかもなあ、という気にさせられることが多いわけである。

私の場合、カレーは4人前作ったほうが材料のバランスとかを考えると美味しくできる、ということが今年の誕生日に「わかった」程度のスケールの小さなレヴェルでしか生きていないのだが、今の世の中「わかった」感じの人々が多くて、そしてその人々は大体誰もが「わかったわかった」大騒ぎしているようである。

私が思うに「わかった」風な感じというのは誰でも纏えると思う。問題はその「わかった」ということを表明せずとも、つまりたとえ広く世間に知らしめようと纏わずとも、自分の中で消化して昇華していけるか、ということなのだと思うのだな。何だか最近「わかっている」ような感じのことを表明している人々の方が、実はなんだか自分のことを一番わかっていないのではないか、と思うことが多くて、それって一番恥ずかしいことだよなあ、と思うのだった。行動やら表現やら全然わかってない感じじゃん、と言いたくもなるものである。

まあかく言う私も、なのだけれどもYoga'n'antsの「Bethlehem, We Are On Our Own」を聴く。元Citrusの江森氏らによるユニットのデビュー作である。Citrusが全くピンとこなかった私ではあるけれども、このアルバムは何だか凄くすこーんとこちらに入ってくるのであった。フランス語女性ウィスパー系ヴォーカルで、ジャズっぽい、という感じではあるのだけれども何だか物凄く深いところで色々渦巻いているような、そういう不穏な音楽である。何でも完成までには数年かかっているらしく、この音のバランスの具合とか鳴り具合とかは、練られつくした成果なのであろう。そう、耳触りはとてもよくスムーズなのに、何だか物凄く居心地の悪い音楽なのである。メロディは美しいし、各界の名手によるプレイもうっとりとさせられるのだけれども、必ず各曲にスムーズには流れていかない何かがある。それはエディットの具合だったり、ストリングスのラインだったり、拍子の具合だったり、ドラムスのバタバタ具合だったり、とそれぞれに違うのだが、一貫してスムーズに流れて行きそうな一歩手前でこちらにストップをかけてくるのである。それが悪いのではなく、寧ろこのアルバムに於いてはとても心地よい。何だか曲解説とかを読むと更に楽しめそうな感じではあるが、敢えて読まずに何度も聴いてからそれを読んでみると、更に面白い。こんな意図なのにこんなに美しくてスムーズな音なんだなあ、と感動すること請け合いである。アルバム全部聴くまでストップボタンを押したくないような、そういうトータルの魅力に溢れたアルバムでもある。