Just Like Tom Thumb Blues

さて私は今アパート暮らしなわけである。

アパート暮らしというとどうも世間的には評判が悪い、というか下、と見られてしまうように思われて仕方がない。否、ひがみなどでは決してない。現に我が家のポストには毎日のように「マンション買えー」だの「一戸建て買えー」だのというチラシが複数枚投入されていて、甚だ迷惑である。でも多分効果があるから投入されているのだろうし、そう考えるとステップアップの段階に於ける一番下の存在なのかも知れない、世間的には。

確かに借家ではある。でもなかなか住み心地は良いし、手狭な感じはしないし、かなり良い家だと思う。でも、それでもマンション持ってるとか一戸建て持ってる、とかいう方が「生活に満足している感」とか「幸せ感」が世間的に強いのは何故だ。「一国一城の主たるべし」とかいう言葉と共に私の今の暮らしに於ける慎ましい幸せが蹂躙されていくような、そういう感が否めないのは何故だ。

別に家族構成的に問題ないし、家賃的にも不当なところは何もないから良いのである。しかし世の中的にはあまりそうも見られていないらしいのが悲しい。全くもって私は借家オーライ、だというのに。

しかし私のこのこだわりのなさは一体何なのだろうか。どうせこの世は仮の住まいな訳だし、そんな仮の住まいに於ける更なる仮の住まいにそんなこだわらなくても、という無常感の極みなのだろうか。その割に、変なところで所有欲が強くて実に人間というものはアンビヴァレントなものだなあ、と強く感じるのであるが、おそらくそういうことなのだろう。世の中沢山人間はいるわけだから、私みたいな考えの人間がいても良いと思うのだが、逆に私のような、肝心のところでこだわらなさ過ぎの人間ばかりでも世の中グダグダになってしまうのだろうなあ、とも強烈に思うのだった。

と何だか今日は強烈にイラついたりしたので、敢えて仮想敵を作って反駁してみたりしたのだが、結局自分を省みる結果になってしまうのはご愛嬌、と言ったところだろうか。Nina Simoneの「To Love Somebody / Here Comes The Sun」を聴く。69年作と71年作のオトクなカップリングである。一応ジャズヴォーカル、というジャンルに入るのであろうが、まあジャンルの話はどうでも良い。この2作品はBob DylanやらBee GeesやらGeorge HarrisonやらPete Seegerやらの、ポップソングのカヴァー中心のアルバムなのである、両方とも。実はこないだの「ロンドン・コーリング」でJoe Strummerがラジオの中でかけていて、それがめちゃくちゃ良かったから聴いているのである。ベスト盤は聴きまくっている私であるがここに収められている曲群は初めて聴いたのであった。どの曲も心地よく、且つ斬新なアレンジがなされていてとくにLeonard Cohenの「Suzanne」は目から鱗が落ちるような、そんな解釈になっていて興奮する。当然ながら彼女のヴォーカルが素晴らしくないわけはなく、もう誰が作った曲であれ、消えることのないNina Simone印をがっつりと押されたようになっている。時に優しく、時に朗々と、時に激しく、どの曲を聴いても彼女の歌声に惚れ惚れとする。しかしながら彼女のオリジナル曲のタイトルは「Revolution」だったり(まあThe Beatlesの同名曲を下敷きにしてはいるが)、ここでは「黒人である」とか「ソウル界の云々」といったレッテル付けを取り払うような選曲がなされているわけで、表面上は実に耳触りの良い音楽であっても、その背後には物凄く強い姿勢が見え隠れするのだった。とは言え、あまり難しく考えずともどっぷりと浸れる2作品であることに間違いないのである。