Pathways To Work

水を浄水ポットでろ過してから飲用とか食用とかに使うようになって早2週間近くである。

しかし浄水ポットを通した水を使うと、お茶もコーヒーも米も何と言うか、混じりけのない味がする。後味がすっきりとしている。香りも、お茶とか米とか、本来こういう香りだったんだろうな、という香りがする。ある程度の違いは予測できてはいたのだが、ここまで違うと結構驚愕ものである。

水道水は水道水で勿論、安全のために消毒してできているのだから悪いものではない。水道水が飲めない国だってあるわけだから、そこら辺のことも考慮しなければならない。しかし、本当に、ここまで消毒しないとならなくなってしまったのは人間の諸活動の結果なのであって、これが元に戻る、ということはないのだろうか、と考えるとうすら寒い気がする。

環境にやさしい云々、とか共生、とか色々そういうキーワードは聞かされつくした気もしないでもないし、そういう気がするということはやはり「もう沢山だよ」と言う気持ちがこちらにあるからであろう。いわば、ちょっと遠い出来事、というか。これは多分良識ある方々にしてみれば言語道断の発言なのだろうが仕方がない。遠いものは遠いわけである。気にはするけど、あまりダイレクトに関わっているような気がしていなかった、というか何と言うか。しかしこうして水、という実に身近なものを通して色々と考えさせられると何かしなければならないのではないか、とかそういう気になるものである。本当、ゴミの分別くらいからでも何とかしていかなければなあ、と思いを新たにさせられるのであった。

抽象的なこと、というか大きなこと、というのはやはり、ある程度具体的に、小さくならないと身近には感じられないわけである。これは今回の件から学んだ大きなことである。だから「美しい国」とか大きいこと言われても、イマイチ身近に感じられる小さなレヴェルで何も変わっていなければ、はて何のことやら、となるものである。まあ別にそれでどうこう、という問題ではなく個人的には肝に銘じておこう、と思ったのであった。

ということでKlimekの「Music To Fall Asleep」を聴く。Kompaktからのリリースのアンビエント作品である。誰もが興味を惹かれるタイトルかと思うのだが、これ、実は「眠りにつくための音楽」ということではなく、「眠りにつく音楽」という意味のタイトルなのである。もっとわかりやすく言えば「人が眠りにつくための音楽」ではなく「音楽自体が眠りにつく」ということなのである。これが狙ったとおりなのかどうなのか。でもいずれにせよ、どちらの解釈でも納得が行ってしまうような、実に穏やかな、ゆっくりと大きくうねるような安らかな音楽である。アンビエント、とかいう言葉を上で不用意に使ってしまったが、多分納得いくであろう、そういう音である。しかしそんな中でも時折はっとさせられる鋭い音が飛び込んできたり、時に重厚な音の層がこちらに向ってきたりして、微妙にスリリングな瞬間もある。決して音自体が眠っていくような、そういうゆるい流れのみではない。そして人を眠らせるような穏やかさはしっかりと大部分を占めてはいるものの、決して穏やかなだけではない、そういう実は緊張感溢れる音の流れの作品。しかしジャケが良いですなあ、これ。このジャケ見ると「眠りにつくための音楽」という解釈に流れてしまいそうだが・・・。それともこの女性がイコールMusic、ということなのだろうか。まあ、どちらでも良いが、確かにこの女性と同じくらい美しい音ではある。