Cruel


今日2つ目。昨日の夜から数えると3つ目か。

車に乗っていると緊急走行中の救急車に出くわすことがよくある。今日なぞ、続けて3台もの緊急走行中の救急車に出くわしたものだ。

職場からも実家からも我が家からも離れたところで出くわしたので、まあ私には関係ないだろう、と安堵するものだが、それでは良くないよなあ、とはたと気づいたのだった。

The Yellow Monkeyではないけれども、外国での飛行機の墜落事故で日本人の犠牲者がいなくて安心、というのと同じで、大きな何かが欠けているのだ。日頃あまり思わないけれども、こういう時にエゴイスティックな自分、というものを発見したりもする。自分の知らない人だろうけれども、誰かが救急車のお世話になっている事態が近くで起きているのだ、ということを考えることもなく、自分の周りは安心、ということで流しがちになってしまうのは本来良いことではないであろう。

と述べておきながらも、毎回毎回上記のようなことを考えていてはこちらの身体も心ももたない、というのも大きな事実ではある。ふと上記のように、例えば緊急走行中の救急車を見たりしたら、ちょっと無事を祈る心を持ち合わせたいものである。

なんて極道の私らしからぬことを書いたりしてみたぐらいにして。でも、実際ちょっとした心の持ちようが戦争とか防いだりするんだろうな、とか思う。小さな心の持ちようが大きな平和につながっていくのかもしれない。

ってやっぱりこんなジャッカスでサーチアンドデストロイでタッチミーアイムシックな私が書くに相応しくない文章で気色悪いとか思われる向きもあるかも知れないが、んー、たまには、ね。

Calexicoの「Garden Ruin」を聴く。思えば私が某輸入盤店に勤めていた頃、シカゴ人脈が絡んだ12インチを入荷させたのは6,7年前か。それ以来の再会、である。GoldfrappとかTwo Lone Swordsmenのリミックスとかでの出会いはあったが。ということで熱心なCalexicoファンでは全くなかった私であるが、今作は完全歌モノ、ということで大いに期待して聴いてみたのであった。どうもタイトルとかジャケとか歌詞の内容とか、ちょっとネガティヴな、若しくは社会批判的なニュアンスが強いようである。これまでも多分そういう姿勢は持っていたのであろうが、ここに来て「声」を使った、ということはよっぽどなのかも知れない。とは言え、マリアッチ風、という印象が強かった今までよりはもっとストレートにロックンロールというかフォークロックというか、そういう素直な音楽なので全く難しい思いをせずに聴きとおすことができる。というかかなり良い。って言うか名作なんじゃないかって気がしてきたぞ。ちょっと前のWilcoを素直に、アクースティック色強めに調理したような感じで、実に痛快で気持ちの良い音楽である。曲もメロディアスである。ただどことなく軽やかになりえないトーンなのは、上記のようなニュアンスのせいか。それは全く悪い方向には作用していないのだけれども。ところで、プロデューサーがJ.D. Fosterなのだが、彼はMarc RibotとかRichard Bucknerとかこの間のCassandra Willsonにも少し絡んでいたり、という人である。で、一つ疑問なのだが、以前Creationレーベルから名作シングルを2枚くらいリリースしていたSlaughter Joeも確かJ.D. Fosterって言うのだ。まさか。まさかとは思うが、同一人物・・・?まさかね・・・。でもCreationの方のJoeさんもプロデュースとかやる人だったよなあ、と。誰か教えてください。気になってしょうがないんです。