Gillian Was A Horse

9月21日(日)にいつもお世話になっている中古CD店Love Recordsさんで1日店長を、去年に引き続き今年もやることが決定しました。皆さん、是非こぞってお買い物にいらしてください!!

昨日はなんだか通り魔に遭ったかの如くに眠気にやられて伏してしまったので更新できませんでした。

突然、俺は今ここにいるべきではない、とか思う時ってないだろうか。否、そこまで行かなくても、俺はこんなことして時間を無駄にしているべきではない、とか思う時ってないだろうか。

私の場合、何だか最近そう感じる瞬間が多々ある。多々々々々ある、と言っても過言ではない。何だか、もしかしたら勝手に無意識の余生カウンターみたいなものが発動して、私に知らせてくれているのかも知れないのだが、こんなことしている場合ではない、と感じることは多い。

例えば人生短いんだから、こんなくだらねえ連中とグダグダやってる場合ではない、とかこんなくだらねえことに時間取られてる場合ではない、とかこんなくだらねえことで俺の貴重な思考の時間を取られてる場合ではない、とか色々である。

まあ、かといって何すれば良いのや、というと全く具体的ではないのがまた可笑しいのだが、1つ言えるのは、確実に何だか私のスピードが上がっているのは確かだ。大丈夫なのだろうか。

あ、少なくともDamien Juradoの「Caught In The Trees」とかを聴いている時間は心の底から有意義だなあ、と思えるってことも確かに言える。久々の新作である。と言うかですね、私昔のSub Popから出たアルバムRehearsals for Departureを聴きまくっている割にはその後の作品をきちんとフォローしていない、という不届きものなのであるが、我が街のCDショップにも彼のコーナーは最早ないので、一概に私だけが責められるべきではないのかも知れない。しかしこれを聴かないで過ごすのは、それこそ人生の時間無駄にしてるんじゃないか、と思えるくらいの傑作である。いや、Conor Oberstさんよりももっともっと地味、というか何らボケようのないアクースティックギターの響きとエレクトリックギターの絡みが非常に印象的な、所謂フォークロックである。しかも彼の場合半端にキャリアもあるが、ますます話題性には乏しいであろう。でも、そういう時代だからこそ何だかこの非常に落ち着いた、染みるメロディだらけのアルバムがなんだか尊いのである。大体にして1曲目始まった瞬間からうわーなんだこの名曲は、と鷲掴みにされる作品も珍しいと思うのだが、まさにそういう感じで掴まれたままずーっと最後まで、という非凡なソングライティングぶりの光る曲が連続するのでもう大変である。ストリングスとアクースティックギターにヴォーカル、女性コーラス、とかそういう美しい展開も挟んで飽きることなく聴けるアルバムである。なんかColin Blunstoneのコレ一年間を思い出しました。言いすぎですか。否、ヴォーカルとか凄く通じるものがあるのだが。

Cape Canaveral

9月21日(日)にいつもお世話になっている中古CD店Love Recordsさんで1日店長を、去年に引き続き今年もやることが決定しました。皆さん、是非こぞってお買い物にいらしてください!!

何だか昼間暑くなってきてすわ夏かよ、と思っても風は秋の風で、寧ろ秋晴れ、という形容が相応しいような日々が続いているのだが、夜は涼しい。虫の声なぞ聞こえてきたくらいにして、あららら秋ですなあ。

とか言っていたら、先週末からの激ハードスケジュール、というか考えてみると8月末からハードであったスケジュールがここに来て祟ったのか、どかっと何だか疲れのようなものに襲われもがいている次第である。仕事を休む、とかそういう類の感じではないのだけれども(いや、寧ろそうあってほしいのだけれども)何だかこう、どっか本調子ではない、という一番厄介なグダグダ具合だったりするのである。

思えば私も来月34歳になるわけで、決して若いわけではない。しかし依然としてYoung At Heartな人間なもので、いつもの調子でいえーどかーん、とか暮らしてしまうと如実に寄る年波には勝てないのう、という結果になってしまうわけでちょっと自重しなければな、とか思う初秋の夜である。

でも、結局またビール飲んでいえーどかーん、とかやっちゃうんだろうなあ、と心のどっかで思っていて、しかもそれを結構微笑ましく思っている自分もいるのだから、さてさて人間って厄介者だ。Conor Oberstの「Conor Oberst」を聴く。いやーBright Eyesとかって思いっ切り聴かず嫌い、というか興味をさほど覚えずに今まで生きてきたのであるが、何故かこの中心人物のソロアルバムは聴いている。何でもBruce Springsteenもお気に入り(HMVのポップ情報なので裏は取っていないのだけれども)らしい彼のソロアルバムである。メキシコの一軒家でレコーディングされたこのアルバムには決して派手な要素もなく、良いメロディ、シンプルな演奏、ひたむきな歌、という全くもってボケようのない音楽が詰まっている。だからと言って決して内向的な音ではなく陽気なカントリー風味のロックンロールから、哀感湛えたアクースティックギター主体のナンバーまで、凄く良い曲ばっかりなので異常にリピートして聴いている。こういうシンプルな何の衒いもなく良い歌ばかりのアルバムがこうして普通に出ているところにまだまだ音楽の未来はあるんじゃないか、とかそういう無駄に日本のロック雑誌みたいなウザイ思いを述べてみたくなったりするものであるが、この微妙に震えるConor氏のヴォーカル(個人的にはFrank And The Waltersとか思い出したが、果たしてこの喩えが伝わるかどうかは甚だ疑問)は、本当に聴き手をぐっと掴むよなあ、とかそういう素朴な感想の方が強かったりする。これからの季節にぴったりじゃのう・・・。

See That My Grave Is Kept Clean

告知、というかお知らせです。

9月21日(日)にいつもお世話になっている中古CD店Love Recordsさんで1日店長を、去年に引き続き今年もやることが決定しました。皆さん、是非こぞってお買い物にいらしてください!!

まあ、私がいるから何かお得なことがある、というわけではないのですが、是非遊びにいらしてください。そして勿論お買い物していってください。多分、その頃になるとヤバイ品揃えのものが店頭にガンガンに並んでいるか、と・・・。

BB Kingの「One Kind Favor」を聴く。私は全くブルーズなどというジャンルには明るくないのであるが、彼の音楽ってアーバン・ブルーズ、て奴なのですか、いまいちわからないのだけれども。しかし御年82歳、この新作は何だか凄く格好良い、ということはわかる。T Bone BurnettのプロデュースでJim KeltnerにDr. John、という参加メンバーも、最早彼くらいになってくると豪華なのかそれとも普通のメンバーなのかよくわからないが、そういう面子で作られたアルバムである。ブルーズのスタンダードナンバーも収録され、結構サーヴィス的には贅沢な感じなのであろう。しかし彼の歌声はこんな年齢だなんて感じさせないくらいにどっしりとしていて力強く、それでいて優しげで、そして実に紳士的に感じられたりする。今作では私の好きなナンバーも取り上げられていてそれが今作を聴くきっかけでもあったのだが、想像を上回る(って失礼な話と言えば失礼なのだけれども)充実度でカヴァーだオリジナルだと分け隔てなく、楽しく聴くことができる。全編に渡って彼の「ツッコミ」みたいなギターを聴くことが出来、私のような初心者であっても十分楽しめるブルーズアルバムである。何かブルーズ探求の方面に突入すると、大層しんどい道程になってしまいそうなので、あまり踏み出すのには躊躇するものであるが、こういうアルバムだと俄然もっと聴いてみたいなあ、という気になってくるから危険だ・・・。

E.T.A.

昨日は盟友の結婚式二次会やら何やらで更新できませんでした。

しかし、あんなに自分の式に於いて爆弾発言を繰り返す新郎には感動を覚えた、というか心底ロックンロールである、と嫉妬に近い感情を覚えたりした。それでも決して憎めないのは、彼の人徳、と言うか、人付き合いの仕方が至極誠実なものだからであろう、と再認識するに至ったのであった。そして、世の中楽しいことばかりではないけれども、というか楽しくないことの方が圧倒的な割合で多いものだけれども、昨夜は心底楽しいと思え、そしてそれも表層的なものではなく、何と言うかもっと深ーいところから来る楽しさみたいなものに貫かれたような気がしたものである。おめでとう、という言葉と同時にありがとう、と言う言葉を新郎新婦には贈りたい。

まあ、その後の三次会での野郎だらけでの話が一番面白かったり、とかそういうオチもついたりするのだけれども。

とかってさあ、こんなに個人的なことを公のNag3という場でこうも臆面もなく公表するようになるとは、俺もヤキが回ったものよのう、とつくづく思ったりもするのだが、たまにはこういう感じになったりもするのである。それくらい、何だか乗っ取られたような気分になったのである。そして依然としてなっているのである。

しかし、人様の結婚式ってこうも客観的になれるものなのである。自分の時なんて、二次会以降は本当に楽しかったけれどもその日の午前中の式やら何やらは、それに至るまでの時点で結構トラウマ抱えたりしてちょっと記憶が欠落している部分があったり、とか本当に大変な思いをしたものである。とか色々思い出しつつ、要はそんな夜で帰宅したのが朝3時とかだったのに、次の朝8時くらいから仕事、というきっつい日を過ごしたのでDamon And Naomiの「More Sad Hits」を聴く。Galaxie 500解散の翌年、1992年リリースのファーストアルバムである。我が家にはShimmy Disc盤であるのだが、最近再発されたのですね。同年にリリースされた同じく元Galaxie 500組のLunaのアルバムLunaparkがかっちりとしたアルバムだったのに対して、こちらは浮遊感が(その原因の大きな部分はお二方のソフトなヴォーカルと、Naomi嬢の高い音多目のベースのせいなのだけれども)溢れる、しかし言ってみれば地味なアルバムで、そうかGalaxie 500は本当にこの二組が融合して出来ていたのだなあ、と思ったりしたものである。しかしここに収められた極々シンプルな歌と演奏は何だかこちらを捕えて話さない、良い意味での居心地の悪さが何よりも魅力である。普通に多分やっているのだろうけれども、何か大事なところが進むべき方向に進んでいないような、そういう印象を受ける。勿論それは悪い意味ではなく、その普通にズレている感じは、どんどん洗練されていっている最近の作品に於いても相変わらず健在どころか強烈なものになっている。また、このアルバムではKramerががっつりと絡んでいるので、一筋縄の作品で終わってしまうわけがないのである。Robert Wyattで御馴染みの「Memories」のカヴァーは涙なしには聴けない名演。というか気がつくと全曲涙目になってしまうんだなあ、気を緩めてしまうと。まさにタイトル通り、そしてMan Rayのジャケ写通り、である。

Minimoonstar

そういえば昔々「マーフィの法則」とかいうものが流行った、ような気がする。

これは確か、うろ覚えながら、「何かがあると必ず何かがある」とかいうものをさほど根拠もなくまとめたもの、だったような気がするのだが、そうでしたよね確か。吉田栄作が「Murphy's Law」とかいうアルバム作ったりしてたような気もするのだが、はてはて、最近記憶があやふやで・・・。ところで晩御飯はまだかね、え、もう食べたっけ・・・?

という話は置いておいて。まあ、上記のようなことはこの文明の利器インターネットでも使えば一発で調べられそうな気もするのだが、そんなことめんどいのでやらないで話を進めたい。今日昼食を取っていて、嗚呼そういえばマーフィの法則ってあったよなあ、と思い出す出来事があったのだ。

何故、薄い色の服を着ている時に限って人は食べ物のソースやら飲み物をこぼしてしまうのであろうか。大体毎回、私の場合、例えばトマトソースのパスタなどを食べる時は何故か決まって薄い色の服で、しかも細心の注意を払っているにも関わらず、である。思えばこないだつけ麺を食べていた時も細心の注意を払っていたにも関わらず、ベージュ色のパンツにつゆを飛ばしたりした。こないだコーヒーをこぼしたのは白いシャツである。何故だ、何故なんだ。

多分皆さん信じないと思うのですがこの世の中には悪魔がいるのですそいつは皆さんが薄い色の服を着ている時だけ皆さんの手元を狂わせて汁やらソースやら何やらこぼさせるのですこの悪魔から逃れるためには私たちの仲間に入りませんかそして共に祈るのです入会希望の方は添付の振込用紙に必要事項を記入して・・・。

はっ。

と危なく何かに乗っ取られそうになったが危機一髪生還してきました。しかし、本当になんでよりによって、という時ばっかり色々な事態って起きるものである。上記食事の時の話はほんの氷山の一角で、起こって欲しくない時に限ってそういうことって起こるものなのである。何なんだろうか、注意しすぎているせいでいつもと違う力が入っていて、それが悲劇を引き起こすのであろうか。一時が万事、自然体で行かなければ逆によろしくない結果になってしまうのかな?無理はいけないな。

嗚呼今日もグダグダなNag3、しかしVillalobosの「Vasco EP Part 1」を聴く。チリ生まれのドイツ在住の彼氏による、12インチ2枚組である。私なぞは遅れてきたファンであるのもいいところなので一昨年辺りからの彼の作品とかリミックス仕事くらいしか聴いていないのであるが、何だか聴くたびにすげえなあ、と舌を巻かざるを得ないのである。この12インチ2枚組に於いてもあくまで恐ろしいくらいに淡々と進むイーヴンなビートを軸に色々なリズムが絡んできたり、カリンバ様の音が絡んできたり、ベースラインが軽く変容を重ねていったり、これってずれてるんじゃないのか、って勢いのキワキワなところでビートが上に乗っかってきて刻まれたり、突如ノイジーなビートが絡んできたり、というそういう「何も起きないが故に次に何が起こるのかわからないドキドキ感」という実に他で味わえないスリルを味わうことのできる長尺の(本当に彼の作品の場合容赦なく長尺なのだ)彼のオリジナルが2曲。そしてそれらのリミックス(例えばShackletonのリミックス返し、とか)が入って全4曲である。4曲なのにお腹一杯、である。胃が痛くなるほどである。しかし、リミックスよりも結局のところ彼自身のオリジナルが、上記のようなスリルも含めてどうしても圧倒的である。ミニマルテクノ、とかクリックハウス、とかそういうジャンルの呼称にはイマイチ明るくないのだけれども、そういう言葉から想起されるよりも遥かに、予想を上回るほど遥かに淡々としていながらも、想像を絶するスリルに溢れた不思議な音楽である。ずーっと聴いていたくなるので今日も何回リピートしているのかわからなくなる、簡単に中毒にさせてくれる音楽でもある。

Time For Some Action

ということで、昨夜は深酒したので更新できませんでした。

昨日は椎茸をスライスしていつものペペロンチーノのパスタに投入し、更には柚胡椒を隠し味に投入したら実に絶妙な味わいになってビールも進んだ、というわけだ・・・

とここまで書いてきてふと気づいた。何か最近このNag3がやれ晴れない日が続くだの、車が故障しただの、パスタ作っただの、大人は限られた条件の中でベストを尽くすだの、どうにもこうにも何と言うか若さというか勢いが感じられないのではないか!?

まあ、書いている人間が若くもなければ勢いもないわけで、それは仕方がないことだと思う。また、かつてそういう時期がこのNag3にあったかと言えば、約6年近くやっていて一度もなかったような気がする。しかし常に運命には牙を剥いていかなければいけないわけである。だからこそ、放っておいたらどんどん縁側で粉をふいてしまうような文章を書いてしまいそうになってしまうからこそ、ガンガンに勢いづいた感じでいかなければいけないのではないか。

ということで考えた末に、とっかえひっかえセックスしまくり、静脈探すのも覚束ない勢いでドラッグやって、毎日ロックンロール、そして毎食肉食ってます、的なことを書かなければ、という結論に達したのだが、いやあ、やっぱ自分から出てこないものを書くことは無理だろう、という結論というか限界のようなものも見えたので、嘘はやめて誠実に、枯れた感じで行くのがベストだろう、と。セックスドラッグロックンロール焼肉、撤回させていただきます。

ということで枯れながらN*E*R*Dの「Seeing Sounds」を聴く。Neptunes絡みということで御馴染みのユニットの3枚目のアルバムである。これが何だかアルバム全体を通して異常な仕上がりの作品になっているので面白がって最近ずっと聴いている。思えば前作も聴いたりしていたのだが、結構地味であった、という印象がある。シングルは良かったのだけれども。それに比してこの新作は、何だか全曲異常な完成度である。そしてやたらヴァラエティに富んでいる。とんでもなく音圧の厚い性急なブレイクビーツナンバーから(Atari Teenage Riotかと思ったくらいである)、生ドラムにギターとかの濃厚なソウルフルなナンバーにThe PoliceU2か、というド直球ロックナンバー、「It's Just Begun」を下敷きにしたようなファンキーなナンバー、軽やかなソウルナンバー、とバラけているのに、何故かアルバムとしてはバランスが取れている、という不気味極まりないアルバムである。なんか色々レヴュー読んでみたらロックとヒップホップの融合、とかそういうことが書かれているのだけれども、そんなこと、言われるまで思いもしなかったものである、というくらいに統一感のある不思議なアルバムである。しかし各曲とも、どんなテイストのナンバーであれ、必ず印象的なフックが含まれているところがこの連中の嗅覚、というかセンス、と言うか、それの優秀さを感じさせてくれるのだなあ。そしてグループとしての体力も。嗚呼、こういう勢いが自分にもなければならないのだ・・・。

Falling And Laughing

ということで気がつくと9月になっているのだった。それとは大して関係がないのだが、青空を見たのはいつが最後だったっけ、と訝しく思わざるをえないほどの曇天続きの昨今である。

何せいつ雨が降り出すとも分からない空の下で暮らしているというのは、別にとくにカラリと晴れた青空だけが好きです、みたいな感じではない私ではあるが、流石に何だか悶々としてくるものである。しかも午前中雨→その後突如曇りながらも晴れて死ぬほど蒸し暑くなる→また霧雨、みたいな感じだと体にカビ生えるわ、と誰かに当たりたくもなるが当たったところしょうがない。

そして挙句の果てにはこの曇天の下、私は歯医者通いなわけである。この曇天、そしていつ終わるとも分からない歯の治療、挙句の果てには風邪気味、という中、ふとギリシャ銀行のカウンターの中を見ると真っ黒に日焼けした男性が働いている。そこで私はおもむろに中に入り、その男性に尋ねてみた。

ギリシャは今どんな気候ですか」「ギリシャは快晴で、毎日がずっと夏を感じる日ばかりです」

そこで私は次の日、ギリシャに向けて旅立ち、そこにしばらく滞在することにしたのだった・・・。

とLeonard Cohenのエピソードに途中から突入してしまうほど、何だかしゃきっとしない日々である。まあ、せめて湿気でも少なくなれば、と願うばかりである。

せめてカラッとした青空ジャケットのOrange Juice「You Can't Hide Your Love Forever」を聴こう。ネオアコって言われるジャンルの名盤紹介ではかならず出会う、彼等のファーストアルバムである。そう、ネオアコって言葉がまた結構罪な奴で、明らかに音楽性が違うはずのバンドまで一緒くたになっちゃうから、誰かAztec Camera聴いてその勢いでJosef K聴いて悲しくなった人もいるに違いないのだ。話がそれたがこのファーストを最近買いなおした(売っちゃったのもイマイチ信じられない話なのだが)ので聴いている。ギターのカッティングとかは結構快活なものの、よく聴くと何だか変なコード進行だったり、全く持ってどこに向おうとしているのか意図が読めないギターソロとか、そういうのが実はがっつりと織り込まれている。しかしその謎の違和感に止めを刺すのはEdwyn Collinsの、まあ確かに美声なのだが、どうにもこうにも粘着質で引きずるようなヴォーカルだったり、このアルバムを最後に脱退したJames Kirkの、もう下手か上手いかで言ったらガチで下手なヴォーカルだったりして落ち着かないことこの上ない。でも、それら謎な要素が絡み合って意外にクセになってしまうのである。加えて、やりすぎじゃないか、と当時言われていたホーンや女性ヴォーカルなど、結構凝ったアレンジでそこら辺も鑑みてみると実はこれは彼等なりのソウルミュージックの解釈だったのではないか、と思えてくる。Al Greenのカヴァーとかやってるわけで、そういう見方になるとEdwynのこのヴォーカルも実はソウルフルなんじゃ・・・、となってくるから気の持ちようというものは実に大切である。確かに変なアルバムではあるが、それを強引に纏め上げるポップなメロディには脱帽するわけで、そこら辺がこれの名盤たる由縁なのかな、と思ったりするわけである。今更ながら。ところでScritti PolittiのGreen氏は本当に参加しているのですか。クレジットないんですけど・・・。